戦争が終わらないこの世界で

戦争が終わらないこの世界で
どうも「NHKスペシャル」で緒方貞子を扱った番組を作ったらしいです。
その番組のディレクターが、本書の著者だそうです。
つまり、番組が”本家”で、本書は”分家”という位置づけが適当なようです。
本書には写真が豊富に掲載されていますが、その理由も、”本家”が映像作品だったからでしょう。
オイラはこの番組を見ていませんから、ついつい写真に引き込まれてしまいました。
しかし、本書に書かれている内容は、オイラにとっては、これといって目新しいものはありませんでした。
緒方貞子の”輪郭を軽くなぞった”という印象です。

それでも、次のくだりを見つけたときは、ちょっとうれしくなりました。
(上智大学時代に)何人もの学生が、緒方先生に、こう尋ねていました。『どうすれば、女性が国連で働くことができるのでしょうか』と・・・。これに対する緒方さんの答えは、いつも同じものでした。『勉強してください。何をやるにしても、まず自分で、その分野のことを勉強してください』」
素晴らしい。。。。
そもそもオイラが緒方貞子に興味を持ったキッカケがこの言葉でした。
緒方貞子の過去記事はこちら→http://mbay.blog70.fc2.com/blog-entry-1027.html

国連難民高等弁務官時代での日本での講演で、聴衆の中の一人の女子中学生が「自分たちは今、何をすべきか?」を質問したときにも、緒方の答えは、「勉強してください」でした。
上智で教鞭をとっていたのは、国連難民高等弁務官就任以前のことですから、私が「勉強してください」に感銘を受けるよりはるかに前から、彼女は若者たちにこの言葉を語っていたことになります。
講演会での女子中学生への言葉は、昨日今日の思いつきなどではなかったわけです。

少年少女たちが勉強から逃避したいときにしばしば口にする「こんな勉強、社会に出て何の役に立つの?」という言葉。オイラは「勉強なんて、そんなもんじゃないだろ。」と、釈然としない気持ちを持ちながらも、いつも明確な答えが出せないでいました。しかし今ならとりあえず、次のように言えます。
「それは、緒方貞子に聞け!」
ま、逃げ口上に変わりはないですけど。

次の言葉もなかなか含蓄があります。メモメモ
「内向きはだめですよ。内向きの上に妙な確信を持ってそれを実行しようとすると、押しつけになりますよね。理屈から言えば。そうではないですか。内向きというのは、かなり無知というものにつながっているのではないでしょうか。違います?」
このダメってやつ、、、、、、最近某国の大統領になった御仁と、妙にイメージが重なるんですけど。。。。。これでいいのか?
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A3(エースリー)

A3
これは面白かったです。
オウム真理教関連のノンフィクション本です。「月刊PLAYBOY」に2005年2月号~2007年10月号の間連載していたものに、2010年の視点や情報を織り込んで書籍にしたものだそうです。
「A3」という奇妙なタイトルは、「Aの第三作目」という意味らしいです。この作品の前には、「A」「A2」があります。しかし「A」と「A2」は映像ドキュメント作品です。
そもそも著者の森達也は、もともとは番組制作会社のディレクターだったそうで、退社後に自主制作した「A」とその続編である「A2」は、教団の副広報部長である荒木浩広を主な被写体にした作品だったそうです。はい、オイラはこれらを見ていません。
で、第一作目と第二作目までは「A」にさしたる意味は考えていなかったそうです。オウム(AUM)のAでもいいし、荒木のAでもいい、森の言葉を引用すれば
タイトルなどどうでもいい。タイトルがもし内容を凝縮するものとして定義されるのなら、その方向に自分は抗うべきだとの思いがあった。凝縮してはならない。要約してもならない。四捨五入すべきではない。だからタイトルはつけたくない。でも公開するためにはタイトルなしというわけにはいかない。だから不本意ながら考えた。本音としては、「A」でも「B」でもよかったのだ。
と本書のプロローグで書いています。
しかし本書の「A3」は違うのだそうです。意味を込め内容を凝縮したのだそうです。
それはつまり、麻原彰晃のAだそうです。
本書が書籍化された2010年9月の時点で、麻原彰晃の死刑はすでに確定し、東京拘置所で執行を待つ身です。

1995年5月16日。
山梨県上九一色村の第六サティアンで、麻原彰晃が逮捕された日です。
地下鉄サリン事件が1995年3月20日です。
ご記憶の読者諸兄も多いと思いますが、この期間、つまり1995年前半は、日本中がオウム一色でした。
テレビ・新聞・週刊誌等にオウムの文字が踊らない日はありませんでした。
オイラもこの年のGWに、友人3人と車の屋根にシーカヤックを積んで走行していたら、警察官に呼び止められ職質されたことがあります。「屋根に乗っているモノはナニか?」「どこに行くのか?」「荷室を見せてほしい」「3人の関係は?」等々聞かれました。
オイラはそれまでの人生で何度か職質されたことがあったのですが、他の二人は人生初めての職質だったそうで、「これもオウムの影響だ。オウムってすげーっ!」と、その後の車内は無邪気にも大いに盛り上がりました。

おおっと、話がそれました。
著者は、一連のオウム事件を、「麻原彰晃を過剰に忖度したことによる弟子たちの暴走」ととらえようとしますが、多くの信者たちとのインタビューを通して、以後この考えに修正を加え、「麻原彰晃は信者たちのレセプター(受容体)であり、信者たちは麻原彰晃のメディア(情報収集・発信)だった。」と考えを改めます。また、事件後の社会全般の麻原彰晃への対応は異例とし、異例なわけは「マスコミや司法のポピュリズム(大衆迎合)」ととらえようとしました。
とくに麻原彰晃の精神鑑定、つまり「麻原には訴訟能力がある」とする検察側の精神鑑定結果にはその方法も含めて、大いなる不満をぶつけています。
これは著者も覚悟していた通り、”絶対悪”である麻原彰晃をある意味で擁護しているように世間からは受け取られ、「A」を見た被害者からは開口一番「この映画の費用はオウム側から提供されたのですか」とまで言われます。

確かに本書を読むと、マスコミも司法も、世間の「さっさと麻原を吊るせ」という声に応えるかのような動きを感じます。
そして逮捕直後から、検察側も弁護側も、事件の中心人物である麻原からは事情聴取ができないままでいます。
著者が不安視しているのは、そんな拙速な審議によって、最凶と言われた事件の真相が闇の中に埋没してしまうことです。

なぜ無差別殺戮を計画したのか?
麻原自身の口からは何も聞くことができていません。
しかしかつて側近だった林泰男は、森達也への手紙で次のように書いているそうです。
私の場合は、マハームドラが先行していたと思います。つまりマハームドラの手段の一つとして、ヴァジラヤーナのワークがあったと考えています。これは当時も今も変わりません。
※マハームドラー:自分を鍛えるための試練。無理難題で自分の生理や感覚に反すれば反するほどこの修業は強固なものになる。主に師が弟子に仕掛ける。
※ヴァジラヤーナ:悪行を落とし、来世においてより高い次元に転生させる、聖者だけが行える救済。つまりポア。

つまり、麻原にとってはポア(救済)だけど、実行者にとっては、聖者(麻原)によって仕掛けられた修行(マハームドラ)だと、林は解釈しているようです。この場合の修行(マハームドラ)は、生理的にも感覚的にも修行者本人が受け入れ難い(つまり殺人)ほど、効果的な修行となるわけです。

オウム事件は日本の「異物に対する不寛容性」を増大させた事件ととらえることもできます。
地下鉄サリン事件以降、麻原という圧倒的な悪を目撃してしまったこの社会の悪を見つめる眼差しは、明らかに変質した。
こうして景色が変わり法が変わり、システムが変わり人の意識が変わる。駅に行けば「不審物を見かけましたら」とのアナウンスがくどいほどにくりかえされる。地下鉄サリン事件以降は数年にわたり、日本中の駅からゴミ箱が撤去された。危険物を入れられる可能性があるとの理屈だった。復活したゴミ箱の多くは、中が見えるように透明になった。監視カメラは街のいたるところに設置され、「テロ警戒中」や「不審者を見逃すな」などの掲示がそこかしこに貼られている。・・・・・(中略)・・・・・
振り返れば気づく。1995年以降のこの社会の変質は、どんどん加速がついている。

これはこれで「安心安全を確保する」には仕方がないのかなとも思いますが、これが汚い者や弱い者への排斥にならなければいいけどなーとも思います。

著者は本書の終盤で次のように書いています。
東京葛飾区の一室で、彼は今何をしているのだろう。何を思っているのだろう。たぶんもう、何かをする力も、何かを思う力も残されていない。自分が社会を変えたという意識もないし、いずれ絞首台に送られるという恐怖もない。
時だけが過ぎてゆく。でもこの時は無限ではない。やがて終わりが来る。麻原は絞首台に吊るされる。そのときに自分が何を思うのかはわからない。でもこの社会がどのような反応をするかはわかる。
それはきっと、圧倒的なまでの無関心だ。


よくわからないまま、この事件は忘れ去られようとしています。

すべての戦争は自衛意識から始まる

すべての戦争は自衛意識から始まる
意図したわけではないのですが、前記事「殺す理由」と、いみじくも同じような内容の本です。
「危機感に煽られた防衛意識は、しばしば武力行動に出やすくなり、結果として好戦的になりやすい」というのが主旨です。

そういえば、昔「アニマ」という動物生態を扱った雑誌で、主に哺乳類の顔の表情を研究した記事が載っていたのを思い出します。
そこでは、何種類もの動物の顔を見せながら、「おびえ」と「威嚇」の表情が酷似していることを指摘していました。
危険を感じるから「おびえ」、相手を追い払おうと「威嚇」し、それでも危険が去らない場合、やむを得ず「攻撃」という実力行使に出るのだそうです。

アメリカの銃規制に反対する全米ライフル協会の言い分、「銃を持った悪人に対抗できるのは銃を持った善人だけだ」という思想は、実は世界のスタンダードなのだそうです。
我が国は他国に侵略などしない。でも世界には悪い国もある。その悪い国の軍隊が攻めてきたときのために、我が国は軍隊を常備し、兵器を所有する。
これが、軍隊の存在理由です。侵略を目的とした軍隊などありません。そういう意味では、世界中の軍隊はすべて”自衛のための軍隊”です。
ただ、「どこまでが自衛なのか」は、国によってあるいは国内でも考え方が様々なのが、しばしば議論の的になるわけです。

ドイツと日本は敗戦国になりましたが、戦後の戦争責任の取り方について、ドイツは戦争責任を果たしたと近隣諸国から評価されましたが、日本はそうではありません。
著者はその違いを、記念(記憶)の相違に求めています。
日本で戦争にまつわる記念日(記憶に残すべき日)というと、8月15日、そして8月6日と9日でしょう。終戦記念日と原爆投下の日です。
ところがドイツでは、ベルリン陥落の日はさして重要視されていないのだそうです。重要視されているのは1月27日、ついで1月30日なのだそうです。前者はアウシュビッツが連合軍によって解放された日、後者はヒトラーが首相に任命されナチス内閣が発足した日なのだそうです。
つまり、日本は「被害者としての記憶」を記念日にしているのに対して、ドイツは「加害者としての記憶」を記念日にしているのだそうです。戦後ドイツは”ナチス的なもの”を徹底的に否定することで、反省の姿勢を示しました。日本は、「天皇も国民も軍部の被害者」という意識を持ち、自らを加害者とする意識に欠けていました。この点が今も燻り続ける「日本の歴史認識」というヤツの正体のようです。子どものケンカなどでよく見られる、「あやまったんだから、文句ないだろ!」といった、あまり反省しているとは言いがたい謝罪です。
しかもドイツは「東西ドイツ分断」という厳しいお仕置きを受けているのに対して、日本は自陣営に組み入れたい連合国側の思惑もあって、厳しいお仕置きを受けてはいません。

本書で著者は次のように言っています。
加害は記憶しづらい。でも被害はいつまでも忘れない。これは世界共通だ。ただし日本は、その度合いが少し、いやかなり強い。特にここ数年、その傾向は加速している。
また、次のようにも言っています。
被害だけを強調して記憶した実例の一つが今のイスラエルだ。その結果として被害は加害にあっさりと転換する。自分たちが受けた被害を反転しながらくりかえしていることに気づけなくなる。
加害の記憶から目をそむけてはならない。語り継がれねばならない。ここは絶対に譲れない一線だ。これを自虐史観と呼びたければ呼べばよい。開き直るわけではない。僕は胸を張って自虐する。加害の記憶を自分に何度でも刻む。

近頃の日本が右傾化していることは、オイラも感じています。また、「日本は世界で人気がある」「日本人は世界から絶賛されている」「日本は素晴らしい」といったたぐいの自画自賛本に気持ち悪さを感じてもいる一人でした。
ネットの一部では、感情的かつお下品な罵詈雑言に満ち溢れた”ネトウヨ”と呼ばれるサイトも多いです。

しかし、情報量からいったら圧倒的に右寄りが多い現在の状況にあって、こうした左寄りの本を読んでみると、世の中のことが少しは多面的に見えてきた気がします。

殺す理由

殺す理由
いきなり物騒なタイトルですが、内容はサブタイトルにある「なぜアメリカ人は戦争を選ぶのか」です。

開拓の時代から、アメリカは戦争を問題解決の手段に選ぶことが多く、成功例もあるけど失敗例も多かったことを、過去の事例を挙げながら丁寧に説明していきます。

国民を戦争支持に誘導するために提示される理由の中で、もっとも一般的で、もっとも強く感情に訴えるのが「自衛」だそうです。
本書は2013年刊ですから、最新の話題はアフガン介入ですが、これも「9.11テロ」の報復というよりは、アメリカ国民をテロの再発から守るという「自衛権の行使」でした。

著者はアメリカの防衛を次の3つの段階に分類しています。
第一段階 国内制度の防衛
   アメリカの国民と領土だけでなく、国内の諸制度や文化的価値、国民が尊重する自己像も含まれる。
     例:セミノール戦争(長くなるので、この説明は略)
第二段階 普遍的な価値と国家の独立の防衛
   民主主義などの普遍的原理の形で表現されるアメリカ的価値。
     例:南北戦争、第一次・第二次世界大戦
第三段階 超大国の権益の防衛
   アメリカの地政学的権益と全大陸に在留するアメリカ国民。
   アメリカの兵士や外交官、開発業者や実業家の生命ばかりか、アメリカ的西欧的価値も含む。
     例:ベトナム戦争、イラク・アフガン軍事介入

段階が進むにつれて徐々に、泥沼化へと進んでいるように思えます。
世界の各地に米軍を配置するアメリカは冷戦後唯一の大国となりましたが、同時にあちこちで「自衛権を行使」したためか、多くの敵から狙われる対象になりました。

本書の後半で、著者は、クラウセヴィッツの「戦争は外交の最終手段」を引用し、戦争を始めた歴代の大統領たちは、本当に最後まで戦争回避に努力し、その結果最後に残された手段として、やむを得ず戦争を選んだのか?と疑問を投げかけています。
現代は世界中に、紛争解決専門家コミュニティーがあって、中立の立場を保つ熟練したファシリテーターが活躍して、紛争国同士が互いを理解しあい、権力を共有しあい、戦争を回避した例があるそうです。

著者は第五章「戦争は最後の手段か?」の最後を、読者(おそらくアメリカ国民を想定)への次のような呼びかけで結んでいます。
知識と情報を有し、覚醒したアメリカ国民が進むべき次の段階は、最後の手段として軍事力の行使を承認することではなく、適切なファシリテーターを採用して紛争解決プロセスに誠実に取り組むよう政府に要求することだ。
要するに、誠心誠意紛争解決を試みないかぎり、戦争はけっして最後の手段たりえないのだ。


筆者によれば、紛争解決プロセスのメリットは、うまくいけば戦争回避できるし、うまくいかなくても、何も失うものがない点だそうです。
オイラも「そんなにうまくいくもんかぁー」とは思うのですが、ダメモトなら、この”紛争解決プログラム”というヤツ、やってみる価値はありそうです。

一人で勝手にSSTR -4輪で-

SSTRというのがあります。
「Sunrise Sunset Touring Rally」の略で、日の出後に太平洋側の任意の場所を出発して、日没前に日本海側の石川県千里浜(ちりはま)に集おうではないかというオートバイ乗りたちのイベントです。合言葉は「千里浜で会おう!」です。

千里浜といえば、波の打ち寄せる砂浜を車で走る日本唯一の道として、「なぎさドライブウェイ」が有名です。
パリ・ダカライダーの風間深志が「”完走者すべてが勝者である”との精神でダカールの海岸をビクトリーランした感動を日本でも」と提唱し、今年(1917年)で5回目を重ねます。

今年の開催は5月20日でした。
参加費用10000円に加えて、ナビゲーションシステムを備えたスマホやタブレットなどで、走行者のコースの確認ができることというのがあります。後者の条件は参加者の不正を防ぐためでしょう。
オイラの携帯電話は文字通り「携帯できる電話」で、それ以上でもそれ以下でもありません。ネット機能が一切ないので、メールの送受信・サイトのブラウジングはもちろん、ナビ機能・ゲーム・各種アプリなどすべて使えません。「灘の生一本」ならぬ「通話機一本」です。(ウ ウマイ!)
10000円問題(参加費10000円を払いたくない)と、携帯原理主義(携帯は電話さえできればいい)という二つの問題に阻まれて、オイラのSSTR参加は各界から不可能視されていました。
しかしオイラは考えました。
参加費を払わなくても、携帯がなくても、同じ条件で参加すれば、同じことぢゃね?
そこで当局の目を盗み、コツコツと参加準備を進めていました。
SSTR当日、日の出前にスタート地点に行くためには、深夜2時に起き3時には家を出なくてはなりません。
キャンプ道具等一切の装備を愛車に積み、身支度を完璧に調え、ご近所迷惑にならないよう少し離れたところまで愛車を押し、静かにエンジンをかけ、ライトのスイッチを入れました。と、ところが、、、、、ヘッドライトがつきません。
スタート地点と決めた場所までは暗い中を走らなくてはなりません。オートバイは昼夜の常時点灯が奨励されていますが、オイラとしては、無灯で走ることにやぶさかではありません。しかし、夜間無灯で罰金を払うのは断固嫌です。
「ど、どうしよう。。。」
行く気満々を抑えることができなかったオイラは、とんでもない奇手を思いついてしまいました。
「そんなら、車で行こ!」

そもそもSSTRとは「ライダーの、ライダーによる、ライダーのためのイベント」です。
参加費をケチり、携帯を拒否り、すでにSSTRの参加資格など、とうにないにも関わらず、さらにオイラはライダーであることさえ棄ててしまったわけです。
でもま、せっかく早起きしたんだから、細かいこと?はこの際忘れて、SSTRに勝手的に車で参加です。
SSTR1.jpg
スタート地点に定めたのは、浜名湖西の国道一号線状の道の駅「潮見坂」です。
道の駅の駐車場んい入ってしまうと、車両は海岸に下りられませんが、裏道ルートを使うと、海岸線に下りられます。
写真は日の出直前10分ほど前の”太平洋”です。
SSTR2.jpg
道の駅の駐車場には、すでに数名のSSTRライダーたちが日の出を待っていました。
にしても、、、どちらも外車です。SSTRライダーたちは”道楽者”が多いのでしょうか
SSTR3.jpg
SSTRでは各県にひとつ「指定のチェックポイント」が道の駅に定められていて、参加者は千里浜にゴールする前に最低一つはチェックポイントで位置情報を送信しなくてはなりません。愛知県は「瀬戸しなの」がそのチェックポイントにあたります。
7:00に到着すると、駐車場に止まっている二輪の100%がSSTRバイクでした。
SSTR4.jpg
岐阜県のチェックポイントは156号線郡上八幡近くにある「古今伝授の里やまと」です。
オイラのコースではほぼ中間点にあたります。
ここでは駐車場の二輪率がとても高く、6割以上だったのではないかと思います。
しかも二輪のSSTR率はここでも100%。

ここで見つけた今回最高の”変態バイク”が写真のダックスです。ひときわ存在感を放ち、周りの名だたる名ツアラーたちの姿が霞んでしまいました。
原型をとどめているのはフレームのみ。ほかにダックスのオリジナル部品はひとつもありません。
メインタンクの下には犬の首輪が巻かれています。唐突感満載ですが、オーナーの弁によると、
「そこはほら、一応ダックスなわけですから、、、、、」
変態の予感しかしません。
ここに来るまでで一度エンジンストップしており、道端で修理して、だましだましここまで来たそうです。
ここから先も「いつ止まるか」の不安を抱えながら走るそうです。
乗車姿勢は窮屈なうえ、前傾を強いられるセパハン。ほかにも数台所有しているそうですが、なぜか最もツーリングに向かないダックスをチョイスしての参加だそうです。
オーナーと話をさせてもらったおり、「ここまでたくさんのバイクがいましたが、ここまで変態のバイクはいませんでしたよ。」と言ったら喜んでいました。さらに「まだお若いお年の割には、道楽が過ぎるんぢゃありません?」と叱責したら、これまた喜んでいました。
オイラのすべての言葉が、ほめ言葉・羨望に聞こえるようです。
「健全な肉体には、健全な魂が宿る」のなら、「変態バイクには、変態ライダーが宿る」のもまたひとつの真実です。

ま、そんなこんなで来ちゃったわけです。
SSTR5.jpg
この数キロ先にはSSTRのゴールがあります。
SSTR6.jpg
いまSSTRライダーたちは、各人各様でテーマを設定し、ここを目指しているわけです。
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SSTR8.jpg
にしても、オイラの千里浜到着が14:20 この日の日没時刻は19:00ですから、早すぎます。
到着が速すぎたライダーたちも、ヒマを持て余したのか、”感動のゴール”を何度も繰り返していました。
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多数用意された白い席では、ゴールしたライダーたちに、ねぎらいのみそ汁?をふるまうはずですが、ライダーがいないのはもちろん、みそ汁のできている様子もありません。奥にはステージらしきものも見えますが、現在は本番前の一休みといった様子です。
SSTRライダーたちの多くは、能登半島を走り回っているか、遠方からスタートして今もこの地を目指して走っているのでしょう。
ライダーたちでごった返すのは、日没直前の頃になりそうです。
それまで待つ気がしないオイラは、能登半島観光も一切スルーして、どこか涼しい山間部で一晩を明かそうと、千里浜を後にしました。
何しろこの日は全国的に「夏日」を記録して、暑かったですから。

帰路は、千里浜から能登半島東岸の氷見に抜け、富山を経て飛騨街道(R41)を南下しました。
日が暮れてきたので、夜を明かそうとした道の駅に次のような表示を見つけたので、なんだかズルズルと走っていたら、帰宅しちゃいました。22:00でした。
SSTR10.jpg

<まとめ>
SSTRは、参加費10000円を払うとか、スマホで位置確認をするとかを除外したとしても、やはり最低限ライダーとして参加するのが望ましいです。四輪では”ただ走る爽快感”がないのはもちろん、天候の心配も、気温の変化も実感できず、何より、他のライダーとの連帯感が全くありません。それに楽チン過ぎて、全然面白くない。
そもそもSSTRは、走り終わって「あー、長かった」とか、「あー、ケツが痛てー」とか、「なんとか時間内にたどり着いた」とか、そういったある種の”シンドサ”を前提に成り立っていいるように思います。「楽な移動」とか「ゆとりある計画」といった楽チンさではなく、自分自身にシンドさという負荷を与え、それを乗り越える楽しさ、つまりは、”各人各様の冒険”こそが本質なのではないかと思いました。そういう点で、今更ですが、四輪で「参加した気になる」ということ自体そもそも間違っていました。
やはりSSTRは、「ライダーの、ライダーによる、ライダーのための、実はとっても個人的なイベント」だったことを、あらためて実感したのでありました。
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