キムはなぜ裁かれたのか

キムはなぜ裁かれたのか
まったくお恥ずかしい話ですが、「歴史和解と泰緬鉄道」を読むまで、戦犯になった朝鮮人がいることを知りませんでした。さらに恥の上塗りをすると、東京裁判(極東国際軍事裁判)以外にも、アジアの各地で戦争犯罪を裁く多くの戦争裁判が行われていたことも知りませんでした。はい、全部東京裁判で裁いていると思っていました。お恥ずかしいかぎりです。

ちなみに、よく耳にする「A級戦犯」は、東京裁判でのみ裁かれた罪でした。
A級:平和に対する罪
B級:通常の戦争犯罪
C級:人道に対する罪
つまり、「A級がすごくひどい犯罪」で、「B級やC級はA級よりちょっとましな犯罪」とかいった等級や犯罪の程度を示すものではなくて、犯罪の種類別の分類です。
A級については、インドのパール判事が「事後法である」として無効を主張したのは有名な話?です。

さて本書は、植民地下の朝鮮で、生活のために日本軍の軍属(簡単に言うと傭兵)となり、東南アジアの捕虜収容所で監視員となった朝鮮人たち(コリアンガード)の話です。
表紙写真の戦士の左肩に付いた赤い星印が当時の軍属を表すマークです。ちなみにこの写真の人物は、本書の主人公?の一人である金完根(キムワングン。創氏改名による日本名は「かねかどかんこん=金門完根」)です。

東京裁判では、太平洋戦場において日本軍の捕虜となった米・英連邦の兵士の死亡率が27%と、ドイツ・イタリアの捕虜となった兵士の死亡率4%と比べて顕著に高いことを指摘しています。
捕虜の待遇に関しては、当時から国際的に定めた「ジュネーブ条約」がありましたが、日本は批准していませんでした。
アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドから、ジュネーブ条約の「相互適用」を希望されますが、日本政府は、「批准はしないが準用はする」と回答しています。準用の解釈を英米は批准と同程度の拘束力を持つと考えていましたが、日本は「拘束を受けるものではなく、必要な修正を加えて適用する」と微妙な解釈をしていました。
こうしたジュネーブ条約をめぐる両軍の齟齬は、日本軍のどこまで伝わっていたか。
日本軍には「俘虜取り扱い規則」があり、種々の手続きを経て「正式な俘虜」としての扱いを受けることが定められていたそうですが、下士官や軍属は、ジュネーブ条約はもちろん「俘虜取り扱い規則」も教育されていないし、その存在さえ知らされていなかったそうです。それよりも、戦陣訓の一節「生きて虜囚の辱めを受けず」の方がはるかに浸透していました。つまり、「生きて捕虜になった恥ずべき敵兵士たち」と認識していた可能性の方が高い。捕虜収容所の朝鮮人監視官(コリアン・ガード)にはそういう人々が就きました。

映画「戦場のメリークリスマス」で、英軍将校のロレンスと、ビートたけし演じる原軍曹との会話に
原「こんな恥ずかしい扱いを受けてよく生きているな。」
ロレンス「私たちは捕虜になることを恥だとは思っていない。たまたま運がなかっただけだ」
原「オレだったら、死んでる。死ぬことなんて怖くない」
ロレンス「私たちは勝ちをあきらめたわけじゃない。生きていればまた戦える。最後には勝つつもりだ」
原「そんなの言い訳だ。お前はただ死ぬのが怖いだけだ」
というくだりがあります。(要約ですけど)
原軍曹のセリフに、当時の日本人の、捕虜に対する姿勢が表れています。
あ、ちなみにいつも竹刀を振り回す原軍曹は、「バンブー・モリ」とあだ名された実在の森軍曹がモデルだそうです。

階級的には二等兵よりも下に位置したコリアンガードたちも、日本兵からかなりの虐待をうけています。
「戦メリ」では、序盤に”ハラキリ”をさせられるジョニー大倉が演じているのが、このコリアンガードです。

戦後各地で行われた戦争裁判では、コリアンガードたちも「日本人」としてBC級戦犯の対象となりました。
ところがサンフランシスコ平和条約の発効にともなって、朝鮮人戦犯も「未帰還者=外国人」の扱いとなり、巣鴨刑務所からの出所を命じられます。
コリアンガードたちのほとんどは植民地だった朝鮮で軍属になり、そのまま戦地に赴きましたから、日本に家族はいません。生活基盤は朝鮮にあります。苦労して故国に帰ると、、、そこでは「親日者」というレッテルを貼られ、周囲から白い目で見られる毎日が待っていました。

ま、勝者が敗者を裁くわけですから、必ずしも「戦犯=悪者」でもないし、かといって、「戦犯=被害者」でもない。
誰もが加害者にも被害者にもなってしまう社会って、やっぱ異常だなと思います。
誰も、加害者にも被害者にもならないってのが、フツーであると思います。
月並みですが、、、、、フツーが一番!
最後に「戦メリ」の有名なラストシーンを貼っておきます。(長いよ 約10分)
ロレンスの「原さんも犠牲者だった」がなかなか含蓄ある言葉です。


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ジェノサイドの丘

ジェノサイドの丘
本書を読み終えた時は、「今年の本」暫定ベスト1を早くも更新!と宣言しようと思ったのですが、考えてみるとディフェンディングチャンピオンの「ホテルルワンダの男」もルワンダものだし、読み終わった直後の”まださめてない熱”の作用もあるだろうからと、一旦冷静になってみました。
でその結果、決断がつかないので、「ジェノサイドの丘」と「ホテルルワンダの男」は、暫定同率一位といたします。
結論から言えば、「ホテル・・・」の方は、ルワンダ虐殺をその場にいた当事者の目から描いた、「虐殺の現地ルポ」的作品です。
それにくらべて本書は、アメリカ人ジャーナリストの聞き取り取材と調査によって、虐殺の前後を含めて事件の全体像を鳥瞰的に描いた作品です。

本書では、ツチ・フツ両部族の混合・分離の歴史や、虐殺前、虐殺後のルワンダと影響を受けた周辺諸国の様子、国連をはじめ西欧諸国の対応まで、多岐にわたり、幅広く立体的に描かれています。
乱暴を覚悟で分類すれば、「ホテル・・・」が文学で、本書は報道とでも言ってしまいましょうか。
「ホテル・・・」を読んでいたので、虐殺そのものについては、あらかたの事は知っているつもりだったのですが、その前後、特に虐殺後については、本書で知ったことは大きかったです。
本書の邦題は「ジェノサイドの丘」とジェノサイドという言葉を使っていますが、原題は「We wish to inform you that tomorrow we will be killed with our families」とジェノサイドは使っていません。
その理由はオイラにはわかりませんが、ジェノサイドという言葉には重い響きがあるようです。
なんでも国連には、「ジェノサイド法」というものがあるらしく、ジェノサイドは国際法上では犯罪とされているそうです。
となれば、ジェノサイドと認定されれば、国連としては放っておくわけにはいかず、何らかの手をうたなければいけなくなります。
国連、特にアメリカ(大統領はビル・クリントン)は、フツ族のツチ族虐殺をジェノサイドとは認定しなかったそうです。
その理由を本書では、「石油や地下資源があるわけでもないルワンダという小国にかかわっても何の得もないから」としています。

虐殺後にRPF(=ルワンダ愛国戦線)が政権をとると、RPFはツチ族主体の政権ですから、虐殺を行なった側(フツ族至上主義者)は報復を恐れて隣国に逃げます。つまり難民となったわけです。
難民が発生したとなれば登場するのが国連難民高等弁務官(UNHCR)です。
この時の難民高等弁務官は緒方貞子でした。国連事務総長はガリです。PKO担当は後に総長になるアナンです。
UNHCRは隣国の難民キャンプに潤沢な援助物資を送り人道支援します。
しかしこの難民キャンプには、ルワンダでツチ族虐殺を行なった多くのフツ族至上主義者もいました。
著者によれば、フツ族至上主義者たちがこの救援物資をピンハネし、破壊され荒廃したルワンダ国内よりも物質的には豊かな生活を送りながら活動資金を集め、武装化を進め、RPF政権に対する抵抗や虐殺を継続していたそうです。

ルワンダ政府(RPF)が「虐殺しなかった者には、報復はしないから難民は帰っておいで」と宣言したことによって、UNHCRは「帰る所があるんなら、難民キャンプはいらないんじゃね。」と難民キャンプを閉鎖します。居場所を失った多くのフツ族はルワンダに帰ります。帰還したフツ族は「自分は虐殺に参加してない。」あるいは「参加しなければ自分が殺された。」という立場をとりますが、狭い村社会のことですから、ルワンダに居残った生存者には、「誰が残虐な殺人者だったか」はわかっていて、憎しみは消えないままです。

ツチ族もフツ族も、大昔は自分がどちらの民族かさえわからないほど混じり合って共に暮らしていたのに、ベルギーの植民地政策により民族別IDカードを持たされ、ツチ族を中間支配者に据えることで分断したことから、フツ族のツチ族に対する不満が高まりました。
そして国連は、虐殺が行われている最中も「虐殺じゃなくて国内問題」という解釈で不干渉の立場を通しました。
1997年の演説で、アメリカのオルブライト国務長官は、「1994年のルワンダで起きた残虐行為の初期段階でより積極的に行動し、それをありのままの名前で----ジェノサイドと呼ぶべきであった」とし、人道支援が武装キャンプを維持し、ジェノサイド殺人者を助けるために利用されていたことを非難したのだそうです。
さらに1998年には、クリントン大統領がアフリカ歴訪の旅で、虐殺のあいだ不介入の姿勢をとったことと難民キャンプで殺人者を助けたことを詫びたそうです。
当時難民高等弁務官だった緒方貞子は、この時のことを、現在どのように思っているのでしょう?いつか知りたいものです。(自叙伝待ちかな?)

ちなみに本書は、ルワンダの虐殺だけでなく、それに伴う中央アフリカの国々の動きにも触れています。
ルワンダでのツチ族政権誕生がきっかけとなって、お隣のザイールでも在住ツチ族系勢力が中心となって、独裁政権を倒し、現在の「コンゴ民主共和国」になったそうです。へーっ、そうだったの?
本書を読んであらためて、アフリカのことを何にも知らない自分にも気づきました。

盲目の時計職人

盲目の時計職人
ドーキンスの本は、「わがままな遺伝子」以来です。
「わがまま・・・」では、「個体としての生物は、遺伝子の利己性に基づいて行動している。」とした遺伝子中心主義を唱えセンセーションを巻き起こしました。

そんな著者が本書で高らかに掲げているのが、「累積的自然淘汰」です。
自然淘汰というのは要するに自然による”フルイ”で、〇万年とか〇億年という地質学的時間の中では、膨大な世代交代が繰り返されているわけで、その中で”わずかに有利”な突然変異の個体は、ぼう大に生まれていると。そしてそのほとんどが死滅したとしても、有利な形質は、とてつもない世代交代を繰り返して磨かれていくはずだ。
というのが「累積的自然淘汰」の骨子です。

進化の果てにたどり着いた極めて複雑な、そしてコストのかかる”すばらしくデザインされた”器官として、ドーキンスは光でものを感知する「眼」を挙げています。
虹彩(絞り)で光量を適正化された光は、水晶体(レンズ)の伸縮によってピントを合わせ、眼球奥の網膜に像を結び、桿状体(視細胞=光電管)を刺激し、その情報は視神経を経由して脳に伝えられます。
網膜全体に配された視細胞(桿状体)は15000万(1億五千万)という数にのぼるそうです。これってつまり、150メガピクセルのカメラが両眼についてるってことです。すべて自動(≠手動)で、しかもフォーカスの速さは業界一です。
こんな素晴らしいメカが突然誕生するわけはなく、初めの頃は明暗をぼんやりと感じる皮膚が突然変異で発生し、生存にとって「無いよりははるかにマシ」なこの皮膚が、膨大な世代交代を重ね、自然淘汰によって、生存に必要な範囲の光(可視光線)だけを敏感に感知できるまでに磨き上げられ、現在の目になったと考えられるのだそうです。
ここで大事なのは、”わずかな進化”が何世代もの累積した自然淘汰という”フルイ”にかけられている点です。足の裏とかに突然変異でできた目などは、不利な突然変異として自然淘汰によって消えていったはずです。
コウモリが音でものを感知する「エコーロケーション」なども、眼と同様に、「ささやかで有利な突然変異」と「累積的自然淘汰」で獲得した機能と考えられるのだそうです。

顕著な例を引き合いに、ちょっと過激に持論を展開していく様は、「そうそう、ドーキンスってこんな感じだった。」と「わがまま・・・」を読んだころを懐かしく思い出しました。

最終章の「ライバルたちの末路」では、以下の4つの説を自説のライバルとして反駁しています。
1 ラマルクの「獲得形質の遺伝」と「用不用説」
2 木村資生の「中立説」
3 「突然変異説」
4 聖書等の「創造説」
ここまで、ドーキンスの「累積的自然淘汰」を読んでくれば、この章に書かれた1・3・4に対する反駁は納得できました。
しかし、2の「中立説」については、何をどう反論しているのか?オイラにはよくわかりませんでした。
これはひとえに、オイラが「中立説」をよく理解していないためなのですが、それでもドーキンスは、中立論なんて知らないオイラのような読者にもわかるように、「中立説」を批判してほしかったです。
「中立説」の過去記事はこちら→http://mbay.blog70.fc2.com/blog-entry-1505.html
巻末の訳註をつぶさに見ても、木村資生の著作も「中立論」の解説も載っていませんでした。

監修が日高敏隆となっていますが、子どもや初心者向けの動物関係の著作も多い日高敏隆にしては、珍しい。。。。
これはもしかして、、、凡ミスか?
しかし、監修者あとがきに書かれていた「ファーブルは進化論を信じていなかった」は面白かったです。
ここら辺の読者を引き込む技は、まぁ、さすがというか、なかなかよかったんじゃないかと思います。
ま、日高ちゃんも、これからは、初心者読者への心配りを忘れないことやね。(←超上から目線)

歴史和解と泰緬鉄道

歴史和解と泰緬鉄道
タイトルにある「泰緬(たいめん)鉄道」とは、戦時中に日本軍が建設したタイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ鉄道のことです。
漢字ではタイを「泰(タイ)」、ビルマを「緬甸(メンデン)」と表記するところからきています。
現在「ミャンマー」という呼称で呼ばれていますが、軍事政権が「ビルマ」を「ミャンマー」に改称したので、軍事政権を認めていない人たちは「ミャンマー」という呼称を認めず、「ビルマ」という呼称を使い続けています。アウンサン・スーチーも政権に就く前は軍事政権に抵抗していましたから「ビルマ」を使っていましたが、実質的に政権の座に就いた今はどう呼んでいるのでしょう?2012年にノーベル賞受賞演説(受賞は1991年ですが、軟禁状態のため、スピーチはできませんでした。)では明確に「ビルマ」と言っていますけど。今もそうなのか、よくわかりません。
「国連ではミャンマーが正式名称だから(日本の教科書も「ミャンマー」)、ミャンマーでいいんじゃね?」と割り切ることも可能でしょうけど、ポルポト時代の「民主カンプチア」を国際社会が正式に認めていた黒歴史もありますから、「単純に右にならえ」するのもいかがなものかと思います。クリントン女史が国務長官としてビルマを訪問した時のスピーチでも、「この国」とか「あなたたちの国」とか表現して、「ミャンマー」や「ビルマ」といった表現を避けています。
そんなわけでオイラも、問題の多い「ミャンマー」という呼称を安易に使うのを避け、当記事での呼称は「ビルマ」で統一します。
とここまで書いて、なんと前置きが長いことかと、いささかあきれています。
もしかしてだけど~、パレスチナ問題に続いて、またしても「ややこしいこと」に足をつっこんでしまう予感が。。。。。。

さて泰緬鉄道といえば、「クワイ河マーチ(ポギー大佐)」のテーマ曲も勇ましい映画「戦場にかける橋」を、誰もがすぐに思い浮かべます。(ただし、高齢者に限る)
オイラもお茶の間のテレビで、淀川長治さんの解説(たぶん)とともに見ました。
戦場にかける橋
ビルマで日本軍の捕虜となった英国軍人たちが、打ちひしがれ奴隷のように使役されている仲間を見て、橋の建設を通して自分たちの持つ高い技術を見せつけ、誇りを取り戻そうとするお話です。
捕虜が敵の戦略的工事に積極的に取り組むのは、どう考えても利敵行為なのですが、そういう細かいこと?は、この際言いっこなしです。そしてこの映画がアカデミー賞を受賞し、以後このフィクション映画が、「囚われの身でも立派に仕事を成し遂げた英国軍人」として、泰緬鉄道のイメージを象徴的に決定づけます。
かくいうオイラも、この映画を、「敵味方を超越して英国人捕虜と日本軍人の間に芽生えた友情物語」のように思っていました。

しかし実際のところ、使役に駆り出されたのは捕虜だけでなく、ビルマやマレーシア、インドネシアなどのアジア人も多く、彼らへの暴行・虐待は日常茶飯事で、また過酷な労働環境と労働条件のため、泰緬鉄道の工事は辛酸を極めました。
その時の様子を密かにスケッチし、記録していたのが本書の著者です。
表紙の絵は著者の手によるもので、鉄道工事終了後、著者が収容された病院の様子です。栄養失調は当たり前、熱帯性潰瘍におかされ皮膚が壊死して骨が露出しても、薬品も包帯もなくウジがわくにまかせていた様子などが、数多くのリアルな絵と文で描写されています。
こうした、捕虜や徴用してきたアジア人労務者に対する日本軍の拷問・虐待は、東京裁判でもB・C級戦犯として裁かれました。

本書の巻末には3人の日本人有識者たちによる鼎談が載っています。
ここもなかなか読み応えがありました。
特に、戦時中は泰緬鉄道建設に通訳としてかかわり、戦後は個人的に贖罪を続けている永瀬隆さんという元教師の話が、オイラの興味をひきました。
これってもしかして、オイラが見逃したあの映画の人じゃ?という思いがわいてきたからです。
その映画とは、「クワイ河に虹をかけた男」です。
クワイ河に虹
ほんのひと月ほど前なら、とある映画館で上映していました。その時は「見に行こうかなー」と思っていたのに、生来の怠惰癖が発動して見に行かずじまいでした。寒かったし。。。。。。。
マイナーな映画なので、今後ビデオ屋に並ぶこともなさそうだし、ましてやテレビで上映されることもないでしょう。
惜しいことをしました。
「チャンスの神様が来たら、前髪をつかんでおけ。後ろはハゲているかもしれない。」
いろんな人から、ずっと言われてきたことなのに。。。。。く、くやしいです。
ザブングル

それでも私は憎まない

それでも私は憎まない
禁断の領域に踏み込んでしまった気がしています。
国際紛争のなかでも、歴史が長く複雑で、そのために「ややこしさナンバー1の紛争」とオイラが勝手に認定しているパレスチナ問題です。何しろベトナム戦争終結のニュースを聞いた若かりしオイラが、日直当番の日誌に「これでベトナムは平和になる。あとはパレスチナだ。」と書いた記憶があるくらい、昔から続いている紛争地域でしたから。
それから数年経ち、オイラが紅顔ならぬ厚顔の怠惰青年に成長?した頃、止むに止まれぬ事情で、ユダヤのこと、特にキブツという集団農場のことをお勉強しなくてはならなくなりました。その時に「ホロコースト~イスラエル建国」あたりのことは、さわりを軽くカジったのですが、もうそれだけでややこしかったです。イギリスの二枚舌外交とかバルフォア宣言とか、そもそもパレスチナである理由が旧約聖書の「出エジプト記」に関係しちゃってるわけですから、「聖書まで読むんかいっ!」と、もうおなか一杯状態でした。

ほんとは池上彰さんがこの辺りのことを書いてくれるとありがたいのですが、ここは蛮勇?をふるってオイラなりに、もうほんとザックリと、ユダヤとパレスチナの過去をおさらいしてみます。何しろ認知症前夜のオイラですから、信用度が極めて低いことだけは保証いたします。

1 「移民の民」だったユダヤはエジプトに移民するが、そこでは待遇が悪く奴隷扱いだった。
2 「俺たちも安住の地を見つけようぜ」と、モーゼに率いられてエジプトを出る(出エジプト記)
3 途中のシナイ山で、「あんたらのために地中海に面した”カナン”を用意したよ」と神から告げられる。(約束の地)
4 カナン(パレスチナ)に自分たちの国を作る
5 ローマ帝国が攻めてきて属国になるが、自治は認められる
6 ローマ帝国に逆らって返り討ちにあい、宮殿を壊される(その時の残骸が、今の「嘆きの壁」)
7 追放されて散り散りになる。キリスト教が興隆し、ユダヤ教徒は各地で異教徒扱い
8 各国で、土地の所有が認められないので、金融業に励む。金貸しは嫌われるので反セミティズム(反ユダヤ主義)が蔓延
9 「金の力」がものをいう時代になる。迫害されたユダヤにシオニズム運動興る。(自分たちの国が欲しい)
10 パレスチナを委任統治していた英国が、ユダヤ資本めあてにユダヤ人国家をパレスチナに作ることを約束(バルフォア宣言)
   英国はこの時、アラブ民族にもパレスチナを与えると約束(二枚舌外交)
11 ナチスドイツによるホロコースト
12 世界がユダヤを哀れみ、ユダヤ人国家を作る世論が湧く。ユダヤ財閥のロスチャイルドが支援
13 パレスチナに入植開始(キブツ=集団農場として)
14 資金援助で借りのある連合国が、パレスチナ分割案を提案するも、アラブ側は拒否
15 ユダヤ人がイスラエル建国を宣言
16 アラブがイスラエルに進攻(第一次中東戦争)
17 勝ったイスラエルが、ヨルダン川西岸とガザ地区を分割し、アラブ難民が避難
18 第三次中東戦争後、シナイ半島はエジプトに返還
19 ヨルダン川西岸とガザ地区のパレスチナ自治区は、国家として国連が承認(アメリカ・イスラエルなど不承認の国もある)
イスラエル

さて本書の著者は、ガザ地区つまりパレスチナ難民として生まれ、猛勉強をして医者になり、ガザ地区に在住しながら、なんとイスラエル国内の病院で産科の勤務医をしていたという稀有な人物です。(最近の記事は「稀有な人物」が多いなー)
パレスチナ自治区のアラブ人の多くはイスラエルを「勝手に人の土地に入ってきて自分たちの国を作った侵入者」として敵視しているでしょうし、パレスチナ人の中でも過激派は、イスラエル国内でテロを行っています。また対するイスラエルも自国内で気安くテロをされてはたまりませんから、隣国(この場合パレスチナ自治区)の過激分子拠点を砲撃しています。つまり脅しや揶揄などの口撃ではなく、文字通り実弾の飛び交う報復合戦です。
”敵国”の国民に医療行為をするのは、敵に利する行いともとれるわけですが、著者は「医療こそ敵対する二者に橋を渡すにはもってこいの行為」と考えています。
著者は言います。
わたしたちは不寛容の代わりに寛容の、憎しみの代わりに癒しのメッセージを送ることにより、互いの心を動かさなくてはならない。
ま、ここからネタバレですが、
著者はイスラエル戦車の砲撃で自宅を襲われ、8人の子どものうち3人を失います。
目の前で自分の子どもたちを吹き飛ばされた著者に、周囲の人々の報復を求める声は止まなかったそうです。
「イスラエル人が憎くないのか?」「戦車から死の一斉砲撃を行なった兵士はどうだ?彼のことは憎まないのか?」と。
そこで著者は次のように書いています。
報復を追求する人たちに対し、わたしは言う-たとえイスラエル人全員に復讐できたとして、それで娘たちは帰ってくるのだろうか?憎しみは病だ。それは治療と平和を妨げる。
次のようにも書いています。
娘と姪を死に至らしめた今回の悲劇により、私の信念はますます深まり、分断に橋を架けようとする決意は固まった。暴力は不毛で、かつ時間と命と資源の無駄使いであることを、私は骨の髄まで身に沁みて知っているし、暴力がさらなる暴力を生むことは証明されている。暴力では解決できないどころか、悪循環に陥るだけだ。
現代のガンジーがここにいました。
自分の子どもをですよ。3人も目の前でこなごなにされてですよ。よほどの聖人でも、このセリフ出ません。
この人、P304で次のようにも書いてます。
私の哲学はシンプルだ。これは両親が子供に授けるアドバイスだが、-----「兄弟喧嘩はやめて仲直りしなさい。そのほうが両方にとって得だよ。」
これって、、、、、前記事でオイラが言ったことと一緒だ。
言っとくけど、オイラ、パクッていませんよー。

砲撃を受け、被害を受けた家族を病院に搬送したところで、著者はイスラエルのテレビ局に勤める友人のTVキャスター=シュロミに電話をします。ニュース番組の生放送中でしたが、シュロミはこのプライベートな電話をイスラエル国内にライブで放送します。
それは、気が動転した父親の悲痛な叫びでした。

後にシェロミが語ったところによると、
「もともと大多数のイスラエル人はガザ攻撃に賛同していた。だが今、初めて、彼らはガザで何が起きているのかを理解した。イゼルディン(著者)の声とわたしの顔が効果的だったそうだ。彼の苦しみを耳にしながら、わたしは泣くのをこらえるのがやっとだった。まさにその苦しみが番組を見ていたイスラエル人の心をも揺り動かしたのだ。首相さえもが、あの場面を見ながら泣いたと言っていた。あの6・7分間の放送がその後の停戦をもたらしたに違いない。」

違いにばかり目を向けて”分断”を促すよりも、類似性に目を向けて”連帯”する方が、世の中平和になるってもんです。
本書の著者Dr.イゼルディン・アブェライシュも言っています。
壁ではなく橋を作ろう と
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