日本三文オペラ

日本三文オペラ
上原善広に影響されて、”路地モノ”を読んでみようと思い立ちました。
開高健については、「酒と釣りの好きな自称文豪」という剽軽なイメージとは別に、”闇シリーズ”では猥雑でネットリした空気を描く純文学作家としての一面にもオイラは触れていたので、本作はどちらなんだろう?と思いつつ読みはじめました。
「輝ける闇」の過去記事はこちら→http://mbay.blog70.fc2.com/blog-entry-1508.html
「夏の闇」の過去記事はこちら→http://mbay.blog70.fc2.com/blog-entry-1509.html
ま、しかし、出だしの大阪新世界のジャンジャン横町で浮浪者の主人公が食べ物を漁る描写からして、すぐに「これは間違いなく後者の方だな」とわかりました。

本書の主人公のフクスケは、”アパッチ部落”と呼ばれる泥棒部落で、屑鉄泥棒の見習い修行をすることになりますが、これは著者の実体験とも重なるのだそうです。
解説によれば、開高健の自筆年譜には、「前年の夏、ノイローゼを晴らすために大阪の泥棒部落に行ったときの経験をもとにして書いた。」とあるのだそうです。
さらに解説では、
作者の生理と切りはなしがたいものになってしまった一種の臓器感覚、およびそのような感覚にぴったりとマッチしたねばっこい大阪弁の饒舌を抜きにして、この作品の、それこそ生理的ともいうべき迫真力は絶対に生まれてこないだろうと思われる。
とも書かれています。
確かにあのねちっこい描写がなければ、アパッチ族たちのおそろしいまでの生きることへのバイタリティは感じられなかったことでしょう。

経験上純文学とは”相性の悪い”オイラですが、本書は引き込まれるように一気に読んでしまいました。多分面白かったのでしょう。
しかし、解説で佐々木基一が書いているような、
『日本三文オペラ』を注意して読めば、読者はきっと、ギラギラした脂ぎった光をうかべているその猥雑にして醜怪な描写の表皮の下に、人間存在そのもののもつ哀愁をかみしめている作者の、やわらかく傷つきやすい魂のふるえを感じとることができるにちがいない。
といった領域にまでは立ち入れませんでした。
まだまだオイラは、純文学作品を語るには色々なモノが足りないようです。
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ティムール帝国

ティムール帝国
先日、若かりし頃の仲間との寄り合いがあり、幹事役からの招待メールに「私事ですが、ウズベキスタンに行ってきました。さすがは世界史の舞台になった国です。よかったです。写真持参します。」との文言が添えられていました。
ここでオイラの頭には二つの?が浮かびました。
・ウズベキスタンが旧ソ連領のどっかなのはわかるけど、どこ?
・ウズベキスタンが「世界史の舞台」だったなんて初耳だぞ
そんな状態でオイラは寄り合いに参加しました。
寄り合いでは、約束通り?、幹事役は旅行先の写真を見せながらいろいろ説明してくれます。
オイラは「フーン。フーン。」と、聞いてはいるのですが、内容についていけません。
しかし、一緒に話を聞いていたひとりは、話に的確に反応し、時には説明する幹事役にウズベキスタンのレクチャーさえかましている人物がいます。
この寄り合いの最年長者です。
話をしているうちにわかってきたのですが、なんでもこの最年長者は、ソ連時代にウズベキスタンに行き、そこからアフガニスタンに入国しようとしていたのだそうです。しかも新婚旅行で。この計画は新妻の体調悪化とソ連のアフガン侵攻によってとん挫したのですが、ソ連時代のウズベキスタンには行ったことがあるのだそうです。どうりでウズベキスタンに詳しいわけです。
で、あまりにもウズベキスタンに無知なオイラを見て、この年長者が言った言葉が、「ここらへんは、学校でも教えてくれないし、日本人にとっては”穴”になっているんだよね。」とのお言葉でした。
そこで、自分の無知を自覚したオイラは、図書館に行ってこのあたりのお勉強をしようと思ったわけです。
しかし図書館に行って、ウズベキスタン、つまり昔のティムール帝国について書かれた本があまりに少ないことに驚きました。
書架に並んでいる本の背表紙なら、1mの幅におさまってしまいます。もちろん、奥の書庫にはもっとたくさんの本が蔵書としてあるのでしょうけど、”書架に置くならこれで十分”という判断でしょう。それだけ利用者の関心の低さがうかがわれます。
本書の中でも、著者自身が
わが国ではティムールがおこなった遠征はほとんど知られていないので、主要な遠征の経過を簡単に紹介しようと思う。
と書いちゃってます。著者自ら、「ティムールのことなんて、日本のみなさんは知らないでしょ」といじけて白状しているも同然です。
「こりゃ、確かに”穴”です。」

ウズベキスタン初心者のオイラにとって、とにかく読み始めは苦労しました。何しろ知らない人物名が、情け容赦なく次々に登場しますから。
しかし、中盤を過ぎるころから、そうした”過酷な環境”にも次第に慣れ、読み終える頃には、ウズベキスタン、さらにその源流となるティムール帝国のことならなんでも来いとばかりに、完全に把握した気になりました。
ティムール帝国に関心のある人(そんな人がいるのかどうかはともかく)にとっては、ちょうど程良い入門書となることでしょう。


以下は自分用のメモです。================================
ポストモンゴル帝国は、13世紀後半には、チンギスハンの四子(ジョチ・チャガタイ・ウゲデイ・トルイ)たちによって、四つのウルス(領土)に分かれる。
・ヒタイ(キタイ)のウルグ・ユルト→トルイの子孫・フビライ モンゴル高原と華北 北元
・キプチャク草原のジョチ・ウルス→ジョチの子孫 西北ユーラシア
・イラクのイル・ハン朝(フレグ・ウルス)→フレグの子孫 西アジア ティムール帝国
・中央アジアのチャガタイ・ウルス→チャガタイの子孫 中央アジア ティムール帝国(ウゲデイ ウルスを併合)

1402年7月20日アンカラの戦い
オスマン軍に加わっていたトュルクマーン兵の多くが敵側に寝返り、ティムール軍有利に展開。オスマン帝国のバヤズィト一世は捕らえられ、翌年3月捕虜のまま死去。オスマン朝で息子たちによる後継者争いが起こりオスマン朝は弱体化。

16世紀のオスマン帝国の歴史家ムスタファ・アーリーは、アレクサンドロス、チンギス・ハン、ティムールの3人をサーヒブ・キラーンと呼び、・・・・・中略・・・・・・この場合、ムスタファ・アーリーはサーヒブ・キラーンを「普遍的な統治を確立した世界征服者」というような意味で使用しているという。
※サーヒブ・キラーン
ティムールのこと指す呼称。元来は「吉兆の合の持ち主」の意。君主の称号として使用されることもある。

1500年、シャイバーニー・ハン率いるウズ・ベグ集団はマー・ワラー・アンナフルに侵攻してサマルカンド政権を滅ぼした。一方、ヘラート政権もスルターン・フサインが没した翌年にウズ・ベグ軍により崩壊し、ここにティムール帝国は成立以来137年を経て完全に滅んだのである。
※ウズ・ベク
現在のウズベキスタン周辺に住んでいた民族名
※マー・ワラー・アンナフル
シル河とアム河に挟まれ、サマルカンドやケシュなどの主要都市を擁するティムール帝国の核となる地域

アフガニスタンでは、ティムール朝の生き残りであるバーブルがティムール帝国の再興をめざしてカーブルを拠点に活動していた。かれはウズ・ベグに対して何度も反攻に出るが成功せず、ついに中央アジアをあきらめ、新天地を求めてアフガニスタンから北インドに進出する。こうして1526年、バーブルはムガル帝国(1526~1858)を創建し、彼の子孫が帝国に君臨した。このような経緯から、ムガル帝国を「第二次ティムール帝国」「インドのティムール帝国」と呼ぶこともできよう。


シナン

シナン
イスタンブールのアヤソフィアよりも大きいドームを持つモスクを作った、オスマン帝国の建築家です。
などと、わけ知り顔で書いていますが、「夢枕獏の奇想家列伝」を読むまでは、名前さえ聞いたことがありませんでした。
「夢枕獏の奇想家列伝」の過去記事はこちら→http://mbay.blog70.fc2.com/blog-entry-1648.html

イスタンブール市街の景観は、アヤソフィアを抜きにしては語れません。
アヤソフィア1
アヤソフィア2
オスマン帝国の全盛期に君臨したスルタン=スレイマン大帝にとって、実はこれはあまり愉快なことではありませんでした。
都の中心に威容を誇るアヤソフィアは、今でこそイスラム教のモスクですが、この建物を作ったのはキリスト教徒だからです。
そして、その後イスラムではアヤソフィア以上のモスクを作ることに成功していませんでした。
スレイマン大帝は、自分が生きているうちにアヤソフィア以上のモスクを作ることを夢に見ますが、天才建築家のシナンからは、「現時点では技術的に無理」と断られていました。
しかし、スレイマン帝の死期が近づくと、「大きさを除けば、すべてに勝るモスクを作る」と約束して、イスタンブールに作ったのがスレイマニエ・ジャミーでした。
スレイマン帝が逝去したのち、アヤソフィアよりも大きなドームのモスクを作れる確信を得たシナンは、ついにアヤソフィア以上に大きいドームを持ったモスクを作ります。それが、スレイマン帝の息子セリム二世のために建てたセリミエ・ジャミーです。
これはイスラム建築の最高傑作と言われているのだとか。。。。

本書はシナンの一生を描いたフィクションなのですが、フィクションゆえの面白さがありました。
たとえば、シナンがベネティアに赴任した時、現地でミケランジェロに会ったという想定は、なかなかに面白いです。
また、スルタンが選ばれると、前スルタンの血を受け継ぐ者たちは全員抹殺される。というか傍流の血を絶って、唯一の血統だけを残すという習慣も、知っていれば今後の役に立ちそうな知識です。

ま、小説ですから、登場人物の性格やストーリー展開を面白くアレンジできるので、ついつい引き込まれて楽しく読み終えることができました。
ただ、どこまでが事実でどこからが作者の脚色なのか?その境界線がオイラには不明確なので、スレイマン大帝やシナンについては、今後も重大な関心を持って見守っていきたいと思います。

路地

路地
上原善広の書いた”路地”本を借りたつもりでしたが、上原善広が編集した「路地にまつわるアンソロジー」でした。
上原は長めの解説を書いているだけです。

・部落問題と文学  松本清張 吉野壮児 開高健 杉浦明平 野間宏による座談
・部落の娘 岩野泡鳴
・エタ娘と旗本 ロード・レデスデーレ
・穢多町の娘 吉岡文二郎
・最後の夜明けのために 酒井真右
・化学教室の怪火 横溝正史
・屠殺場見学 川合仁
・特殊部落 杉山清一

上原は解説で多くのことを語っているのですが、そのほとんどは、冒頭に取り上げられている座談会(1959年)についてです。
作品そのものは、そもそもが「埋もれた作品を紹介することを意図している」ためか、作品各々について、解説ではまったく触れられていません。
しかし、最後の「特殊部落」についてだけは、部落解放同盟京都府連合会が糾弾闘争を展開した作品として取り上げています。
この作品の著者=杉山清一が京都市の職員であったことから、解放同盟は、作者や出版社のみならず京都市も糾弾の対象としたのだそうです。京都市が多くを聞き入れて解放同盟が勝利したことにより、「行政闘争に勝利した」という意味で、解放運動の歴史の中で大きな転換点になった事件なのだそうです。

”路地初心者”のオイラが教科書として使うには、”お手軽感”や”お気楽感”は、あまりありませんでした。
教科書にするなら、ホントはもっと適切な本があったような気もしますが、
ま、とりあえずお勉強になったので、ヨシとしておきます。

日本の路地を旅する

日本の路地を旅する
「異形の日本人」が面白かったので、上原善広の路地モノが再び登場です。
今まで自分が被差別部落のことに、とんと無知だったせいなのでしょうが、これも面白かったです。

目次は以下のようになっています。
1 ルーツ 大阪
2 最北の路地 青森・秋田
3 地霊 東京・滋賀
4 時代 山口・岐阜
5 温泉めぐり 大分・長野
6 島々の忘れられた路地 佐渡・対馬
7 孤独 鳥取・群馬
8 若者たち 長崎・熊本
9 血縁 沖縄
著者の上原善広自身が被差別部落の出身なため、路地に共通する独自の文化や食べ物に詳しく、その感覚を頼りに日本各地の路地を訪れます。しかし、多くの地方ではすでに風化してしまっていたり、「あまり触れたがらない話題」なことが多く、細い糸を手繰るような旅となることが多いようでした。

とにかくオイラの知らないことばかりで、読みながら一人で「へーっ」と声を出しそうになることがしばしばありました。
一例を挙げれば、
それにしても鹿皮の職人が尊ばれ、牛皮をあつかう路地の者たちが蔑まれている事実は興味深い。人に従属しない鹿が神の使いと見なされ、死んでも穢れることがないというのは、ちょっと不思議な考え方である。
こうした例は他にもあり、ある地方では鹿皮の職人が「エタが鹿皮をあつかっているのでやめさせて欲しい」と訴え、路地の者と争ったことがある。このとき奉行所は「鹿皮職人もエタと同類である」と判断したため、慌てた鹿皮職人たちは再び願い出て、結局は今まで通り、鹿皮職人は路地の者ではないし、路地も鹿皮をあつかって良いということになった。
・・・・・・・(中略)・・・・・・・
やはりエタ系路地は、牛皮を扱ってこそ路地となるのだ。路地という「身分的階級思想」が、牛を特別視しているインド、ネパールを発祥とするといわれるのも道理である。牛は生きていると神聖視されるが、死ぬと一転して穢れたものとなり、唯一、不可触民たちによって解体処理される。

鹿皮を扱う職人が、牛皮を扱う職人とは区別されていたなんて、考えもつきませんでした。
またインドで(というかヒンドゥー教で)、牛は死んだとたんに穢れたものになるというのも驚きでした。
さらに、それなら”鹿は死んでも穢れない”というのは、確かに不思議です。

もうひとつオイラの興味のツボを突いたのが次の記述です。
温泉がわく温暖な環境だったことから、いつの頃からか的ケ浜にはサンカや乞食、竹細工職人、ハンセン病患者、日雇い人などが寝起きする路地ができた。サンカは戦前まで田舎の山奥などでよく見られたが、現代に入って路地に溶け込むようにして消滅した伝説の放浪民のことだ。
サンカという言葉を久しぶりに見ました。映画「ほしをつぐもの」で、ビートたけしが演じた山人です。
映画を見た時は「一体この人は何者なんだ?」と思いましたが、その後サンカという人々がいたことを知り、以後オイラの中で細々とした興味だけは持っていました。本書によれば、「路地に溶け込むようにして消滅した」とあります。なるほど、何らかの理由で、山に居場所を失くしたサンカにとって、路地はまずまずの受け皿だったらしいことがわかりました。

長崎市内では、鹿皮を扱っていた所は「毛皮屋町」と呼ばれ市内にあったのに比べ、路地は「皮屋町」と呼ばれ市外におかれていたそうです。この違いって、旅行者であっても、分かる人には分かっていたんでしょうね。
やはり、知ることで見えてくることってあるもんだなー。

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