アグルーカの行方

アグルーカの行方
「空白の5マイル」の次には大体ここに来るらしいです。
では、本書はどんな本か?と問われれば、
「19世紀の英国の北極探検家フランクリンが遭難し行方不明になったルートをたどる冒険旅行記」です。

前記事の「空白の5マイル」が、”前人未踏の地”を、”単独で踏破”するという、まさに探検の王道であるのに対して、
本書は、”不明な点が多い探検史上の事件”を”パートナーと二人でたどる”という、前人の追体験型探検と言えます。
”二人である”という点からも、”前人が歩いている”という点からも、「空白の5マイル」のような、”読書中トイレに立つのも躊躇する”ほどの緊迫感はありません。
その代わり、フランクリン隊の謎を解明していくという歴史ミステリーの要素が加味されます。
そして、その点が本書を最も面白くさせ、読者を楽しませている点です。

タイトルにもなっている「アグルーカ」とは、イヌイットの言葉で「大股で歩く男」を意味します。
北極探検史上、「アグルーカ」と呼ばれた白人探検家は複数存在しました。
そして、イヌイットの間では、アグルーカが極寒の北極圏を脱出し、食料の豊富なカナダ北部の、通称「不毛地帯」と呼ばれるツンドラ地帯に向かったという証言が残っているのだそうです。
しかし、研究家たちの間では、フランクリン隊はキングウィリアム島対岸の「餓死の入江」で絶滅したとするのが定説となっていて、この定説が正しければ、「不毛地帯」に向かったアグルーカと呼ばれる白人などいるはずがありません。

本書の前半は、フランクリン探検隊が船を捨て、カニバリズムをするほどの飢餓に苦しめられ、バタバタと死者を出しながら、最終の地とされている「餓死の入江」にたどり着くまでの、フランクリン隊の足跡を追い、なんとか著者たちも、当初の目的地であった最奥の有人村「ジョアヘブン」に到着するまでが描かれています。
この村で英気と体力を養った著者たち二人は、後半の探検に出発します。
それは、イヌイットたちが言い伝える、「不毛地帯に向かったというアグルーカ」の足跡をたどることでした。

ミステリーの謎解きは、ここから俄然面白さを増してきます。
「餓死の入江」を抜け出し、「不毛地帯」に向かったアグルーカとは誰なのか?
著者は、様々な思いをめぐらし、二転三転させながら該当者を絞り込んでいきます。
最終的に最も該当しそうな一人を”アグルーカ”と推定しますが、無論、確固とした証拠があるわけではありません。
しかし、「餓死の入江」で絶滅したと考えられていたフランクリン隊には、実は数名の生存者がいて、彼らは生を求めて南に進んだという可能性と、言い伝えに残るアグルーカを一人に絞り込んでいくまでの著者の知識と思考が、上質の推理小説を読んでいるようで面白いです。

「空白の5マイル」同様、本書も読み物として、実に面白く味わうことができました。
ゴッチャンです。
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空白の五マイル

空白の五マイル
「ヤルン・ツアンポー川の大屈曲」という言葉を聞いたことがある人も多いと思います。
大ヒマラヤ山脈の南麓の各河川はガンジス川に流れ込みますが、北麓つまりチベット側の各河川はヤルンツアンポ川に流れ込みます。そしてこのツアンポ川は、チベット内では東に向かって流れますが、大ヒマラヤ山脈東端で大きく向きを南に変え、ヒマラヤ山脈に深い峡谷を穿って、インドに入りプラマブトラ川と名前を変え、バングラディシュでガンジス川と合流したのち、インド洋に注ぎます。
ツアンポー峡谷
この大河が、東から南に流れを大きく変える箇所が、「大屈曲」です。
大ヒマラヤ山脈最東端の山と呼んでいい「ナムチェ・バルワ」を北側から回り込むようにして、向きを変え一気に高度を下げているのがわかります。
大屈曲
この屈曲点に、世界の探検家から注目されながらも、踏破できないまま残された未踏区間がありました。
それが「ファイブ マイルズ ギャップ」つまり、「空白の5マイル」と呼ばれる区域です。
ファイブマイルズギャップ

著者の角幡唯介は、3度の踏査で、この空白の5マイルの全貌を明らかにします。
本書はその記録なのですが、この空白の5マイルの歴史や、そこにかかわった探検家たちのエピソードを豊富に交え、読み物としても、読み応えのある重厚な作品になっています。
三度目の踏査行で角幡は、生死の境をさまようほどのギリギリの苦境に追い込まれますが、この辺りはまるで「ミニヤコンカ奇跡の生還」を彷彿とさせる緊迫感で、トイレに行くのも惜しむほど読書に熱中してしまいました。

面白くて、一気に読ませていただきました。
ゴッチャンです。

マスード

マスード
1979年、ソ連の「アフガン侵攻事件」というのがありました。
それまで親ソ政権だったアフガニスタンで、反政府勢力として力を増してきたイスラム勢力を抑え込むために、当時地上最強とうたわれたソ連機甲師団が隣国のアフガンに侵攻した事件です。
この侵攻に抗議して、西側諸国は1980年のモスクワ五輪不参加(ボイコット)を表明しました。
このモスクワ五輪ボイコットによって、ここを目指していたアスリートの中には、その後の人生が大きく変わってしまった人もいたはずです。

この侵攻してきたソ連勢力に対して、アフガニスタン内で抵抗したイスラム勢力のリーダーが、本書の表紙にもなっている主人公のマスードです。
本書の著者の長倉洋海は、アフガンの行く末もさることながら、マスードが自分と同年齢であることに興味を持ち、アポなし面会を試み、ペルシャ語をかじっていたことも奏功して密着取材に成功します。
マスードの戦いは、ソ連を追い出すことに成功し、隣国パキスタンでアフガン難民たちが結成したタリバンとも戦います。
最後はテロに遭い爆死するのですが、本書はマスードから「オマール」とイスラム名で呼ばれるほど親しくなった長倉洋海が、何年にもわたって取材したマスードの写真集です。

アフガニスタンもパキスタンも、今は行きにくい国になってしまいましたが、熱い視線を今も向けている日本人がいることもたしかです。
もしかしたら、オイラもその一人かもしれません。

旅に夢見る

旅に夢見る
著者は吉永小百合です。
御年70歳を超えているとか。
うーーん、そうですか。そうですか。
本書の表紙が何歳の時のものか不明ですが、世のおばちゃんたちはこれを見て震撼しているのではないでしょうか。
というか震撼してほしい。震撼すべきです。
なんかこの表紙写真を見ると、「神聖にしておかすべからず」とか「君臨すれども統治せず」とか、そんな言葉が浮かんでしまいます。

でもご安心ください。
本書は、吉永小百合が思い出の地を訪ねる旅行記のようなものです。
要所要所に挿入された写真には、表紙ほどの「象徴臭」はありません。ふつうのおばさんっぽい吉永小百合が写っています。
でも、思い出写真集的に扱われたページを繰ると、「赤ん坊」の頃や、「キューポラのある街」の頃の写真が掲載されていて、それはまさに「栴檀は双葉より芳し」ということわざの見本が載っていました。
特に、P25の「ちょっとボーイッシュな12歳の私」とキャプションがつけられた写真は、まさに「This is SAYURI!」です。

あ、写真のことばかり触れてしまいましたが、ちゃんとした読み物です。
でもあまり面白くありませんでした。ま、このくらい大物女優になると、優等生的な記述しかできないのはいたしかたないでしょう。
中国で同じ船に乗り合わせた中国人の観光客グループを描写した箇所も以下のように、極めてジェントルです。
船室には、中国の地方から来た大勢の観光客やヨーロッパからの熟年カップル、私たち日本人で満員でしたが、中国人グループは、最初から最後まで宴会っぽく盛り上がっていました。-P197-
オイラ、これとほぼ同じ状況をベトナム・ハロン湾で経験しましたが、「傍若無人」「傲岸不遜」としか言いようのない騒がしさでした。
小百合も(おおっと、つい呼び捨てにしてしまったぜ)、よく我慢して、抑制のきいた表現を選んだもんです。あんたはエライ!

地図のない場所で眠りたい

地図のない場所で眠りたい
探検作家?二人による対談です。
二人はともに早稲田の探検部出身で、高野の方が10歳年長で、角幡にとって高野は伝説の先輩だったそうです。
第一章 僕たちが探検家になるまで
第二章 早稲田大学探検部
第三章 作家として生きること
第四章 作品を語る
第五章 探検の現場
第六章 探検ノンフィクションとは何か

探検という行為そのものがそれだけでなにが価値のある行為であったとしても、そこには自分の探検を伝える行為が付随してあります。多くの場合それは、「書く」ことです。条件がそろえば映像でも可能なのでしょうが、その場合、探検隊の規模は大きくなってしまい、少人数での小規模な探検では、なかなか難しいものがあるでしょう。
第五章では二人の「書く」ことへの姿勢が、対照的に語られていました。
高野の場合、とりあえず行きたいから行く。その後、記憶を呼び覚まして書く。
角幡の場合、ここに行ってこういうのを書こうと考えるのが楽しいと言います。つまり探検の延長には「書く」があるのが前提です。

また探検部の中途半端さについても、両者ともに専門家に対するコンプレックスを持っているのですが、
その対象が、高野は学者であるのに対して、角幡は登山家なのだそうです。
「どこで何を見つけたか」と「どこで何をしたか」の違いなのかなぁ?

面白かったのは、高野の記憶の呼び覚まし方でした。
学生時代にインドに行ったときに、いくら金を使ったかを書き留めておいて、そのついでにその日にあったことを書いていたんだよ。この手法が意外によくてね。使った金を書いていると、その日の記憶がかなり蘇るんだよね。あと、何を食ったかも書くね。飯も記憶を掘り起こしてくれるんだよ。
この「お金の使い方方式」での記憶の辿り方は、沢木耕太郎も同じことを言っていました。
それを知ってから、オイラも旅先では出納帳をつけるようになりました。
たしかに、「お金を何に使ったか」は、記憶掘り起しの強力な手掛かりになります。またオイラの場合、これは同時に「何を食べたか」の記録にもなります。
ま、これはお金を使わない”ド辺境”では通用しない方式ですが、一般の旅行ではかなり有力な手段であることは、オイラも確認済みです。

本書では高野と角幡が持ち歩く取材道具も写真付きで紹介されていて、「え、これだけ?」と思うのと同時に、「これだけでいいのか」と、”旅行の荷物は可能な限り少なくする”がモットーのオイラには、なかなか参考になりました。
高野が愛用するという「モレスキンのポケットノート」という奴が欲しくなりました。
ええ、オイラはミーハーですから。。。。。。
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