流砂のなかで

流砂のなかで
前記事に続いて辺見庸ですが、こちらは高橋哲也との対談なので、「しのびよる破局」とは趣を異にします。
しかし、とはいえ、話題は「戦争責任」や「沖縄問題」、それに「靖国問題」についてなので、やはり軽いとは言えない内容です。
というか、これもやはり重いか。。。。

辺見庸も高橋哲哉も「左派」と呼んでいいでしょう。
ということは、かなり強い「反安倍」です。
だから「戦争責任」「沖縄問題」「靖国問題」のいずれに関しても、”大声”で主張できる安倍首相と、本書の両著者とでは認識の違いに大きな差があります。
本書が出版された2015年という年は、第二次安倍政権に引き続き、第三次安倍政権が発足したばかりの年(2014年)です。
この頃の安倍内閣は高い支持率を保持していました。
これはつまり、国民の意識が右傾化していたと考えて差し支えないでしょう。

それを敏感に感じ取ったのでしょう。辺見庸は本書のまえがきで「方位なき流砂の原を行く」と題して次のように書いています。
西欧のある学者は前世紀の終盤に、21世紀の人間がどんな人間なのか見当もつかない。せいぜいわかるのは、それがどのような人間ではないか、それだけだ。----と言った。ここで語られた「人間」を「時代」におきかえても文脈に大きな齟齬はきたすまい。これか到来する(すでに到来している)未来が、どのような時代ではないかと言うのは、いささかの勇気をようする。なぜならば、それは抽象的なのではなく、あまりに具体的でリアルな風景を含意し予感しているからだ。
どのような時代ではないかは、主たる除外の対象に「平和」をあげたにひとしい。それはとりもなおさず新たなる「戦争」の予覚をかたったということだ。それかあらぬか、戦争はすでに緒についている。

平和からは遠のき、戦争が近づいている。そんな流砂の中にいるというのです。

未確認情報ですが、PKO活動に参加していた日本の自衛隊は、現地の人には「軍隊とどう違うのか」がわからないので、めんどうになって「日本の軍隊だよ」と言っていたそうです。たしかにどこの国だって軍隊は自衛のためにあります。
2015年成立の安保法によって今後は、海外での自衛隊の活動はよりアグッレッシブになり、ますます自衛隊(Self Defense Force)との違いはわかりにくく(説明しづらく)なることでしょう。
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しのびよる破局

しのびよる破局
「もの食う人々」で、オイラに強烈な印象を残した辺見庸です。
「もの食う人々」の過去記事はこちら→http://mbay.blog70.fc2.com/blog-entry-1294.html
その辺見庸が次のように考えて書いたのが本書だそうです。
疫病も不況も価値意識の変化もグローバル化によって、地域的に限定することが不可能になっている。
経済恐慌もそうです。いまの状況というのは、アメリカの住宅バブルがはじけ、サブプライムローン(信用度の低い借り手むけ住宅ローン)が破綻して、それを証券に組み入れた金融商品の信用までもが劣化してしまい、リーマン・ブラザーズがひっくり返って、それで新型インフルエンザの感染爆発のように、世界中の金融機関で信用収縮の連鎖が起きてきた。あらゆるものがパンデミック化せざるをえない。それはとりもなおさず、価値観の伝播でもそうだとおもうのです。そのことを文化論的に考えておく必要があるのではないか。
つまり、お金の問題だけではない。心の問題もパンデミックなのだということを、大胆だけれども、仮説としてだしたいのです。

はい、もうこれだけで、「おちゃらけ気分」で本書を読んではいけない。そんな気がしてきます。
しかも本書は、、、、、ある意味読者を”嫌な気持ち”にさせます。
ボクシングでいえば、わが身を守るための防御に手いっぱいで、攻撃なんぞ一つもできないまま、ダメージが蓄積されていく感じです。「勝てる希望なんて全くないままラウンドを重ね、たとえ判定負けでも、最終ラウンドまで立っていられたらラッキー。」といった試合です。ボクシングってしたことないけど。。。。

まず、著者は現状を次のように認識しています。
富者はますます富み、貧者はますます貧しい蟻地獄に落ちて行く。いま、格差というより露骨な「階級分化」がはじまっているのです。こうしたなかで、いま、新しい階層が生まれつつある。「プレカリアート」ということばがあります。「不安定な」という形容詞と「プロレタリアート」を引っかけた造語で、もうすでに世界に通用することばになっている。たとえば、パートタイマーとかアルバイトとかフリーターとか派遣労働者とか、委託労働者とか、帰還労働者とか、あるいは移住労働者。欧州はものすごく移民が多いわけですが、労働者もふくめてそれが不法移民だったりする。そういう不安定な状態を余儀なくされた労働者を総称して、プレカリアートという。
憲法二十五条第一項「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(いわゆる生存権・社会権)が脅かされつつあるという主旨で本書は進んでいくのですが、その傾向は何も国家だけではないと著者は感じています。
オイラは初めて知りましたが、「ニンビー=NIMBY(Not In My Back Yard)」という言葉があるそうです。ホームレスはかわいそうだ。保護すべきだ。でも自分の庭には来てほしくない。
これについて、著者は次のように指摘しています。この社会は完全にそうです。口ではもっともらしいことをいっても、自分からなにかもちだしてまで弱者の側につこうとはしない。ごく限られた人たちしかやっていない。大半は見て見ぬふりをする。
きくぅ~。このパンチは効きます。耳が痛い。

さらに次のようにも書いています。
青年たちが、障碍者が、あるいは年老いた人々が、排除されてもよいものとして路上に放りなげられているときに、それを痛いとも感じなくなって、わが身の幸せだけを噛みしめるような人生というのはなんてつまらないのだ、なんて貧しいのだ、なんてゆがんでいるいるのだという感性だけは失ったら終わりだとぼくはおもいたいのです。
もうこうなるとダメージは足にきてます。せめてもの救いは、「感性だけは失ったら終わり」という箇所です。実際に行動に移さなくても、感じる心があれば、ギリギリだけど、かろうじて「つまらない」「貧しい」「ゆがんでいる」の手前で、自分は踏みとどまっているような気になれます。

しかし、次のような実例を出されると、これはもう、自分の弱点をかばう術はなく、コーナーに追い詰められて打たれまくりのサンドバック状態と化します。あとは一刻も早く試合終了のゴングが鳴ってくれるのを待つのみ。
非常に堅い仕事の、銀行だか商社だかに勤めていて、日曜のたびにでてきて長年、山谷で炊きだしをずうっと黙々としてきた人を知っています。そういう人は前面には絶対にでてこないし、あまりヘラヘラしゃべらない。新聞やテレビなんかにちゃらちゃらでてこない。無口です、総じて。人にえらそうに説諭しない。「コヘレトの言葉」ではないけれども、本当の賢者ではないかと思ってしまう。ことばが多ければ、空しさも増す、という。そうなのです。
そういう人は野宿者にたいして、とってつけたようなやさしいことばなんかもいわないのです。助けるということはもっとリアルな、困難なことで、それが善であるとか、救済とかというようなステレオタイプのとらえ方をしていない。むろん猫なで声なんかださない。見ようによっては、ぞんざいな、どうかしたらちょっと冷たいような対応の仕方をするけれども、でも十数年つづくような持続的な心をもちえている。それを顕彰されたいともおもっていない。目立ちたがらない。もうほとんど死語だけれども、そういう「陰徳」というものがかつてあったし、おそらくいまもありえるのだとおもうのです。
※ コヘレトの言葉=旧約聖書の一節。この場合、「かつてあったことは、これからもあり/かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない」を指す。

こうした人を目の当たりにして、自分を恥じるのはオイラだけではないようで、著者も次のように書いています。
あるべき人間の基本みたいなものが備わっている。路上生活者は臭い。しかたなく臭い。抱きおこすだけで吐き気がするぐらい臭い。だけど、ぼくはそれを抱きおこすからえらいといっているわけではないのです。そうではなく、景気がよかろうと悪かろうと持続する精神があるということが、やっぱり注目に値すると素直に思います。逆に、そうした心ばえに照りかえされて、自分は恥ずかしいなとおもう。
恥じらいにもし深さがあるのなら、著者とオイラの深さにはずいぶんな差があるけど、恥ずかしく思ったのがオイラだけでなかったことに、オイラはわずかな救いを感じたのでした。

それにしても、、、、重い本でした。
重~い。重いよ~。辺見さぁ~ん。(←わかりにくいけど、スピードワゴンの「あまーい」のパクリです)

官僚病から日本を救うために

官僚病から日本を救うために
岸田秀を読んだのは久しぶりです。
岸田秀といえば「ものぐさ精神分析」シリーズが処女作にして代表作になるのかなぁ?
オイラもこれで岸田秀にハマり、以後「二番煎じ」「出がらし」と新作が出るたびに惰性で買い続けました。
本書で対談相手に登場する来生たかおもこれにやられたそうだし、生前の伊丹十三もやはりこれにやられて対談集(「哺育器の中の大人」)も出しています。
確かにオイラも、今まで読んだ本の中で「面白かった本のベスト100」を選べと言われたら、岸田秀の「ものぐさ精神分析」は外さないと思います。あと、なだいなだの「わが輩は犬のごときものである」とか、西堀栄三郎の「南極越冬記」とかもランクインしそうです。
「そもそも”自己”なんてものはどこにもない。あるとしたら”他者との関係性”の中で他者が自己に抱いた幻想としての”自己”だ」というのは、当時のオイラにはなかなか強烈でした。
岸田秀の唱える「唯幻論」は、養老孟の言う「人は生存以外に向けられる余分な能力が脳にあるから、神とか金とか科学などの抽象化されたシンボルを生み出すことに向かい、次第にそれなしではいられなくなったのではないか。」という説と通ずるところがあります。
ヒトは本能が壊れているから幻想を作り出し、それにすがるのだとか。
妄想好きなオイラとしては、この辺少しうなづけたりします。(そういうのとは、ちょっと違うか?)

本書の前半では「国を精神分析する」という試みが書かれています。
岸田によれば、
幕末にペリーの黒船が武力を背景に開国を迫り、その結果、日本は開国した上に不平等条約を結ばせられた。なのに、傷つけられたはずの日本人が「ぺりーのおかげで開国でき、新しい文明を与えられた」と評価したりしている。
日本は今もアメリカ軍の占領下にあります。ところが日本人の多くはその事実を隠蔽して、アメリカは同盟国だとかイコールパートナーだとか言っている。この自己欺瞞こそが病気の原因です。

とか、
正義の立場から悪人を裁くという発想は、アメリカが正義とは反対の、悪と不正を重ねて成り立った国だからだと思います。アメリカは、先住民であるインディアンを虐殺し、その土地を奪って成立した国家です。アフリカから黒人を奴隷として買ってきて、強制労働をさせ、奴隷制度までもつくった。アメリカ人はこの二つの問題に触れられるのを本当に嫌がる。自分の悪と不正の歴史を隠蔽して正当化するためには、どうしても正義という旗印を掲げていないと国家が成り立たないのです。「正義はわれわれアメリカ人が握っている」という幻想が、彼らの存立のために必要不可欠なのです。
とか、アメリカに対する評価はかなり手厳しい。というか過激です。

後半は、多神教と一神教の比較論なのですが、ここでも多神教(特にユダヤ→キリスト→イスラムの系統)に対しては、かなり手厳しいです。
インタビュアーから「人間は多神教が普通なのであって一神教のほうが異常・・・」と話を差し向けられると
多神教が無理のない自然な宗教で、一神教というのは追い詰められた民族の特殊な状態から苦しまぎれに発した一つの病的な異常現象ですから。
などと言いきっちゃってます。

おおっと、この会話の前に、「二分心」理論についての小難しい会話が長々とありまして、そのあとに上記の会話へと推移していますから、二分心というものについて理解しておかないと、この話の真意はつかめないかもしれません。

当然オイラは「二分心」理論なんて初耳です。
どうやら本書からその中身を推察すると、
人に意識が生まれる以前は、「右脳に神がいて左脳が人間だった」という考えです。
言葉が発明される以前は、右脳の神の声を聞いて、それに左脳の人間が盲従していたのですが、他の文化と接することで自分たちの神とはちがう神が出てきて、うまくいかなくなり、右脳の神が衰退していって、意識が生まれ言語が生まれる。それが今からわずか3000年前だったのだそうです。
象形文字が音声文字に変わり、右脳で神の言葉を聞いていたのが、左脳で自分の言葉を聞くようになり、人間に意識が発生したと考えられるのだそうです。この辺、本書の対話だけではよくわからないところもあるので、ネタ元の「神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡-(ジェインズ)」を読んでみなくちゃです。

久しぶりの岸田秀でしたが、面白さは相変わらずです。
ただ、「ものぐさ精神分析」のときもそうでしたが、読んでいて面白いのに、それを人に伝えようとすると、面白がってもらえないというジレンマが、当時もあったことを今思い出しました。
そして当記事を読み返してみると、今回も同じ轍を踏んでいることに気づいたオイラなのでした。

官僚

官僚
小泉純一郎の秘書にして、小泉長期政権を支えた影の立役者とも、平成のラスプーチンとも言われた、飯島勲のロングインタビューです。
インタビューが行われた時期は、2012年1月ですから、民主党の野田政権時代です。

小泉内閣から現在までの内閣をおさらいしてみると次のようになります。
小泉 → 第一次安倍 → 麻生 → 鳩山 → 菅 → 野田 → 第二次・三次安倍(現在)
政権交代もあったし、首相が目まぐるしく変わった時期でもありました。
本来は裏方役の秘書ですが、飯島は小泉政権後もズンズン前面に出てきます。
本書は、入れ替わり立ち代わりの短期政権が続いた時期に書かれていますから、「最後の長期政権を支えた軍師」的な立場からモノを言っているように感じました。
・長期政権でなくては、マトモな政策は実行できない。
・寄せ集めの民主党には党是がなく、その場限りの個人パフォーマンスしかない。
・日本の官僚は優秀で、上手に使ってこそ政策は実行できる。だが使いこなすには人事というアメが要る。
・公人の発言にオフレコがあってはならない。すべてオンレコのつもりでものを言うべき。
・中国は共産党が法律を超越してしまったので、法治国家ではなくて人治国家。この内部矛盾では統治は成立しない。
とまあ、裏方ならではのストレートなもの言いが気持ちいいのですが、”首相のプロデューサー”という面では、繊細かつ緻密な計算をしていたようです。

行動原理は、「目標達成のためにあらゆる手を尽くし、成果をあげる」ことの一点に集中しているので、きれいごとや理想論よりも現実的・合理的であることが何より大事です。
小泉首相の突然の北朝鮮訪問などは、その典型的な例と言えそうです。
「あの国はトップの一言ですべてが動く。」だから、「トップと話さなければラチ(拉致)があかない。」(ウ、ウマイ!)
電撃的な訪朝でしたが、事前準備は最大限の注意を払って進められました。
訪問中の食事は危険性を鑑み、首相も含めて全員が、日本から持参した飲料とおにぎりをかじっていたそうです。
トップ同士の直接交渉に、にこやかな記念写真も仰々しいレセプションも要らないというのが本音でしょう。
「机の上では笑顔で握手し、机の下では足を蹴りあう」そんな外交の基本スタイルが目に浮かんでしまいます。

ときには異例の立ち回りも必要になります。「悪役」は必要なんだと思いますよ。政治家は駕籠に乗る男で、ブレーンはその駕籠を担ぐ。担ぎ手が乗り手のような気分になったらおしまいなんです。

「こういう人がいるといいんだろうけど、こういう人ばかりでは嫌だなー」
そんな声が、霞が関や永田町界隈で呟かれていそうな気もします。

小野田寛郎の終わらない戦い

小野田寛郎の終わらない戦い
偶然図書館の書架で見つけ、手に取って目次をパラパラと見ていたら「中野学校」という言葉が目について、急に興味が湧いてきたので読んでみました。
そういえば、小野田寛郎は中野学校出身でした。
グアム島の横井庄一が戦後の長い年月を”生き抜いた”のに比べて、小野田寛郎は”戦い続けた”という印象が強烈だったことをおぼえています。
帰国してすぐにブラジルに渡り、牧場経営を始めたことくらいまでは、ニュースでも報じられていたと思います。

1944年10月、日本の連合艦隊が壊滅したレイテ沖の海戦では、初めて”特攻”が行われ、戦況は悪化の一途でした。
そのころ中野学校で特訓を受けていた小野田によれば、授業内容が「諜報・謀略」から「殺傷・破壊」に重点が置かれるようになったのだそうです。
中野学校を退校(≒卒業)した小野田は、「ルバング島警備隊の遊撃戦を指導せよ」との命をうけ、その後約30年をそこで生きることになるルバング島に赴きます。
マニラを出発する際、横山静雄中将から言われた言葉が「玉砕はまかりならぬ。三年でも五年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまでは兵隊が一人でも残っている間はヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな。」と言われます。
これは中野学校での「たとえ国賊の汚名を着ても、どんな生き恥をさらしてでも生き延びよ。できる限り生きて任務を遂行するのが中野魂である」との教えと一致します。

ルソン島が攻撃されたのちの、1945年2月28日。アメリカ軍がルバング島に攻めてきました。戦闘は四日間で終わります。自決や切込み玉砕した者を含めて160人が戦死し、残ったのは小野田を含めて40数名のみ。小野田はそれらを3つのグループに分け、ゲリラ戦を展開するための兵力温存策をとります。
敗戦から二か月がたち、ルバング島にも終戦を知らせるビラがまかれます。しかしこのビラには誤字や言葉遣いのおかしな点が多く、小野田は以後のビラをすべてアメリカ軍の謀略と結論付けます。しかしこのビラを信じて投降する兵隊もいたそうです。
気が付けば、ルバング島に残っている日本兵は4人だけになっていました。
もはやこの戦力では、ゲリラ戦を展開するのは無理です。
そこで、小野田は戦い方を変えます。日本軍が反撃する時に備えて敵の情報を探り、時に後方を攪乱して敵の戦力を分散させる戦術。敵の只中にあって生き続け、戦い続ける者のことを、中野学校では「残置諜者」と呼んだそうです。
こうして小野田は戦争が続いていると信じ、任務を全うしようと思って30年間戦い続けます。
ベトナム戦争で北爆に向かう爆撃機の音も、「アメリカ軍はまだ戦争継続中だ。日本はまだ戦っている」との思い込みを助ける役目を果たしたのだそうです。

帰国して日本中が大騒ぎになり、どこに行っても報道陣やら歓迎式典やらに追われ、安息を求めて実家に戻ったところで小野田の鬱憤が爆発します。
「命が惜しくて未練たらしく生き延びたのではありません。命令で死ぬなと命ぜられた結果として生き残ったまでです。だれがこんなうるさい世の中に生きていたいと思うものか。その証拠を今この場で見せてやる。そうすりゃ、もう煩わしい世間様、他人様だと遠慮しなくていい。もうこんな日本は嫌だ。死んだ仲間が羨ましい」
戦場で生死を彷徨い生還した者たちは、一様に死んでいった仲間たちに対する後ろめたさを持つようです。
小野田もジャングルから出てきた最初のインタビューで「一番つらかったことは何ですか?」の質問に「戦友を失ったことです」と答えています。
戦前の軍国主義、それも中野学校という、最も戦闘的・実践的な軍国主義教育を受けた小野田にとって、180度方向転換した戦後の反戦教育・平和教育の風潮には違和感が感じられました。また戦後も”戦い続けた”ことに対しての風当たりも強くなってきました。言動や一挙手一投足に関心が寄せられる日本を脱出し、ブラジルで牧場開拓をしようとした理由も、「人と関わらずに済む場所で、そういう仕事をしようと。」だったそうです。

本書では、インタビューでの小野田自身の言葉もたくさん載っているのですが、話題の中心は小野田寛郎が自分自身を語っているところに置かれています。
読み終えて、なんとなくオイラが感じた”物足りなさ”のひとつに、「帰国騒動が一段落して以後、小野田寛郎は日本をどう見ていたか?」という点の希薄さがあります。
「社会主義だろうが共産主義だろうが、日本人が生き残ればいい」と中野学校で教えられ、戦争をまたいだ30年のタイムスリップという稀有な経験をした者の目に、1970年代当時の「生き残った日本人の姿・日本の姿」はどう映ったのかが、もう少し引き出されていたらなぁーと、思います。本書の趣旨からは外れるのかもしれませんけど・・・・・・

偶然手にした本でしたが、それなりに面白く読ませてもらいました。
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