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二代目アドレス

アドレスV100がお亡くなりになったので、次のセカンドバイクを購入しました。アドレスV125G。
今回もアドレスです。見かけは50cc並みに小さいけど、走りの実力はなかなかのものとの評判だからです。
アドレスV125G1
先代のアドレスV100は”速い”と言われてきました。その理由のひとつに「2サイクルエンジンだから」というのがあります。
特に2サイクル独特のその加速。アクセルを開けると一気にギュイーンと吹き上がる2サイクルの加速感はオイラも好きでした。
そもそもオイラのオートバイ歴は2サイクルから始まっていますし、オートバイというものに慣れたのも2サイクルでした。
時間的にも2サイクルに乗っている時間の方が長いのではないかな?
しかし、排気ガスが環境によろしくないようで、2サイクルマシンは作られなくなってしまいました。
かつてはホンダ以外のヤマハ・スズキ・カワサキも2サイクルが主力だったんですけどね。
ヤマハはXS650以外のすべてが、カワサキはW1以外のすべてが、スズキはすべての車種が(750さえも)2サイクルでした。
かたくなに4サイクルエンジンにこだわってきたホンダも、「やっぱ2サイクルは速い」と2サイクルの”エルシノア”を出したとき、オイラも世間も「あのホンダが?」と驚きましたから。そんときCMに起用されたのがスティーブ・マックウィーンだったなー。

と、2サイクルを懐かしんでばかりもいられません。
とにかく2サイクルはどこも作らなくなってしまいました。
そこで、4サイクルでV100並みの速さを求めた結果なのでしょう。アドレスV100の後継は4サイクルの125ccに排気量アップされました。
そしてキャブは廃止され、FI(フュエール・インジェクション)になりました。
アドレスV125G2

アドレスV125G3
さらに、シート下のヘルメット収納ボックスにシガーソケットが付きました。これでスマホとか充電できるのだそうです。
世の中なんでも、スマホ対応やねー。
V100の給油口が横に向いていたのに比べ、V125Gは上面に向いているので、この点は大いに楽になりました。
これなら吹きこぼす心配は激減します。

で、一週間ほど乗った感想です。
加速はV100の方が鋭く、V125Gの方が鈍重です。刃物に例えるなら、カミソリと鉈。計測したわけではないので、タイム的にどうなのかは不明ですが、体感的には”カドがとれて穏やか”になった印象です。
巡航速度は、V125Gは80km/h程度なら楽にこなしますから、70km/hほどだったV100よりも楽です。
瞬間最高速度も、メーター読みでV125Gは95km/h、V100は85km/hですから、これもV125Gに軍配です。
V125Gの燃費は40km/L以上で、燃料タンクは6Lですから、30km/Lで5LのV100に比べると、満タンでの航続距離は格段に伸びます。(40×6=240km、30×5=150km)

ダッシュ&ストップを繰り返す街乗りでは、”痛快感”という点でオイラはV100を評価しますが、
最高速度・巡航速度・航続距離の3点のどれをとっても、V125Gの方が優れていることから、血迷って数百キロ以上のツーリングに行こうと思ったら、その時はV125Gの方がベターなチョイスと言えそうです。(「アドレスでツーリングに行こうと思うか?」という根本的な疑問はここでは脇に置いておきます)
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ダブル・フォールト

ダブル・フォールト
前記事と同じように真保裕一のスポーツモノのつもりで借りてきました。
「タイトル」からしてテニスモノなのは明らかでしたから。
ところが、いくら読み進んでも、テニスが出てきません。

主人公(表紙の若い男性←推定)は弁護士事務所の新米居候弁護士で、お金にならない刑事事件は誰も担当したがらないため、たまたま舞い込んできた殺人事件を担当することになります。
起訴された殺人罪に対して、タテマエ上は「正当防衛で無罪」を主張するが、現実的には、「過剰防衛による傷害致死」に持ち込むのが目標です。
裁判員裁判のため、裁判員に被害者の粗暴な面を印象づける作戦がとられ、そのため被害者が日頃から乱暴な言動をとっていた事実や素行の悪さを明らかにしていきます。こうした弁護に反感を持ったのが、被害者の娘(表紙の若い女性←推定)でした。
娘は、父親を殺した加害者に味方する主人公に恨みを募らせます。
娘は主人公につきまとい、度々いやがらせをはたらきますが、主人公は、次々に暴かれていく被害者の素行の悪さに傷ついていく娘に、同情心に似た感情を持ち始め、それを理由に(敵に温情?)ボス弁から担当を外されることを言い渡されます。
判決は、「正当防衛による無罪」は勝ち取れなかったものの、「傷害致死、懲役3年」という傷害致死としては下限ギリギリの軽いもので、実質的な勝訴といえる判決でした。

ところが、控訴審を控えた時期に、娘が不審者に尾行され、それを主人公が助けたことから新たな疑惑が浮かび上がります。それは被害者とボス弁とが、ある女性を介して過去につながり(因縁?)があったことを匂わせるものでした。
今回の事件は、その女性と加害者が仕組んだ「過剰防衛・傷害致死」であり、ボス弁はそれを承知していたことが明らかになります。←ここ本書の山場です

調査権を持たない娘と、調査権を持つ主人公が、互いに決して自陣営の利になるとは思えないのに、ここまで真相に迫ったのは、弁護士には、消極的真実義務(=真相究明を邪魔してはいけないし、真実をゆがめる行為に荷担してもならない。消極的とはいえ、真実を究明する義務がある。)というシロモノがあるからだそうです。
これ、主人公の受け売りですけど。

おお、真保裕一はやっぱり面白いではないですか。
前記事では「もう落ち目」的なことを書いてしまいましたが、失礼しました。真保といえども、打率十割ってわけにはいかない。ときには凡打や三振もあるってことでしょう。
で、タイトルの「ダブル・フォールト」ですが、これって、学生時代にテニスをやっていた主人公が、テニスのサーブに例えて「一度失敗しても二度目がある。要は二度失敗しなけりゃいいのさ」というメッセージをタイトルにしたってわけです。
テニスのスポーツ小説を期待して本書を手にした読者にとっては、
このタイトルは、、、、、、、、、、、
バッターボックスに入って堂々と予告ホームランをしといて、一球目からバントするヤツに感じたのではないだろうか?
↑この例えは、オイラの中では2ベースヒットに相当する、なかなかの快挙。

オリンピックへ行こう

オリンピックへ行こう
図書館の小説コーナーに久しぶりに行ってみたら、真保裕一の見慣れないタイトルの本があったので借りてきました。
本書はスポーツ系の三つの作品を集めたものです。
卓球 P5~P174
競歩 P175~P248
ブラインドサッカー P249~P285

半分以上が「卓球」です。
で、卓球ですが、卓球というスポーツは「球の回転を制する者、卓球を制す」とか、「100mの全力疾走をしながらチェスをするようなもの」とか言われているそうで、とにかく相手との駆け引きとか頭脳戦がすごいです。
対戦前に相手の研究をすることはもちろん、一球一球、どのポイントに、どんな回転をかけて、相手の体勢をどのように持っていき、そこからどのように相手の策に対応しつつ、相手の予測を外して、意表をついた球を打ち込み1ポイントを得るか。その繰り返しです。
もう、ものすごい心理戦。そのため卓球選手は感情を表に出さないことが重要なのだそうで、試合中は基本、くやしさは見せないのだそうです。ガッツポーズも”思わずやる”のではなく、”策のうち”なのだそうです。
試合中の描写は、そういう丁々発止の心理戦を軸に、卓球独特の技術用語がからんで、描かれていきます。
ところが、オイラにとっての卓球は、ただ「来た球を打ち返す」だけのお遊びしか知りません。
だから、「卓球」は、特にた「卓球の試合中」は、何が何やらわからないことだらけでした。
一例を挙げます。
相手のサーブは、ツッツキで下回転をつけてバック深くへ返して、カットさせる。その回転を使ってループをかけたドライブで前に寄せ、次をパワードライブで狙う。
相手はループを防ごうと、切ったように見せかけてナックル気味に回転を落としたボールを打ってきた。これをループさせようとすれば、回転が少ないぶん、返球が浮く。低いナックルは強打もできない。カットマンのお株を奪うつもりで、ひたすら粘り強く丁寧に返していった。
レシーブはツッツキだけだとバックを待たれるので、どうにか横回転をかけたフリックで短めにも返して、前後に揺さぶっていく。=P117=

ほかにも、YGサーブだとか、チキータだとか、肘が上がっただの上がらなかっただの、戦っている選手にとっては、そして卓球経験者にとっては、極めて重要な情報なんでしょうけど、、、シロウトのオイラにはなにがなんだか。
確かに話の序盤で、こうした特殊用語については解説されているのですが、その解説も、卓球シロウトにとっては、よくわかりません。しかし次にその言葉が使われるときには、もう読者は分かったものとしてジャンジャン使用されます。そもそも、球にどういう回転を与えるとどういう動きをするのかがわかっていませんから、回転を与える意図、それが相手に与える効果、相手の出方に対応する自分の動き、そういった作戦というか頭脳戦が一切理解できません。
そこで、敢えて言わせていただこう。
本書の「卓球」に関する限り、卓球経験者(それも「お遊び」ではなく、そこそこの)でもない限り、手を出すのは慎重になったほうがいい。


「競歩」は普通に楽しく読みました。50kmという長距離なだけに、競技中は色々雑事を考えちゃうんですねー。わかりますわかります。そういう煩悩ってありますよね。だって人間だもの。(相田みつお)
伝統はあるのに不人気な?スポーツなだけにオリンピック候補といえども、競技を続けることの難しさもよくわかりました。

「ブラインドサッカー」は、競技者や指導者の内面を描く話というよりも、競技そのものの紹介といった趣の内容でした。
主人公は元Jリーガーのコーチなのですが、この主人公がコーチ業の深みにはまり始めたところで、ストーリーは終わってしまいました。やはり主眼はブラインドサッカーを知ってもらうところにあったようです。

オイラにとって、「真保裕一≒オモシロイ」は鉄板だったのですが、「卓球」を読んだせいで、この神話は崩壊の危機にあります。
がんばれ、真保!

ソロ

ソロ
本書でメインに扱われているのが「ローツェ南壁」です。
これ、すごいです。
なにがすごいかというと、高度差が3300mあります。
そしてそれが8000mの高所にあります。
ローツェ南壁
1990年に、トモ・チェセンという登山家がここを単独無酸素で登っちゃいました。
世界中が「あっ」と驚きました。
当時オイラは「岩と雪」という雑誌でこの記事を読みましたが、オイラも「あっ」と驚きました。
当時最難関と言われた最高所にある大岩壁を、単独・無酸素で三日間ほどで登ってしまったからです。
世界の8000m峰14座をすべて登った”超人メスナー”や”ククチカ”でさえも敗退した壁です。

ところがこの世紀の登攀にケチがつきました。
その信じがたい超人ぶりもさることながら、単独登攀にありがちな”登った証拠”がなかったため、「ホントに登ったの?」と疑惑が向けられたのです。
本書では、「登山なんて、名誉や記録のためにするんじゃない。登った本人の目標達成・自己実現が重要なんだ。登ったかどうかなんて本人が一番わかってる。本人が登ったというのなら登っているんだ。客観的証拠が必要だなんて、そんなスポーツみたいなことをアルピニズムに持ち込むな。」という立場をとっています。

チェセン自身は前年にジャヌー北壁を1日足らずで登っています。
これもすごい。
ジャヌー北壁といえば、小西政継が山学同志会の精鋭を率いて最強の登山隊を組み、死力を尽くして初登攀に成功した難壁です。日陰部分が北壁ですが、ここ登ろうと思うかねぇ?
ジャヌー北壁
ジャヌーは7000m峰だし、標高差も2000m弱なので、「ローツェ南壁」に比べたら”格”が落ちますが、それにしたって、単独・無酸素でこの壁を1日って。。。。
ちなみに単独登攀でスピードアップを図ろうと思えば、ノーザイルになります。つまり、何かミスして落ちれば、はいそれまで。
そんな登攀を、薄い空気の中、ボケた頭で20時間以上続けたことになります。

本書の主人公は、「ローツェ南壁単独無酸素」を目標にしていますが、そのための準備として、師匠格のパートナーと共にカラコルムのスパインティークのゴールデンピラーをスピード登攀しています。
このルートが素晴らしい。
スパンティークゴールデンピラー
スパインティークは、かのドクトルマンボウが医師として登山隊に参加した「白きたおやかな峰=ディラン峰」のそばにあります。その山頂を支えるかのように直立した黄金色の巨大な岩の柱が「ゴールデンピラー」です。
ローツェ南壁の練習として主人公にここを登らせるなんて、、、笹本稜平はセンスいいなー。
で、主人公はこのルートを一日で登り、最速記録を更新します。

さらに、師匠格のパートナーの”クライマー最後の夢”として、そして「ローツェ南壁」の下見も兼ねて、ローツェシャールからローツェまでの初縦走までやらかしちゃいます。ローツェシャール・ローツェミドル・ローツェの三つをつなげる縦走は、人類初踏破です。
でまあ、その後、主人公は「ローツェ南壁冬季単独無酸素」をやりとげ、さらにトモチェセンがルート上に残置したピトンを”すこぶるラッキー”も手伝って回収し、チェセンの南壁初登攀をも証明することになります。

ちなみに、本書では、「ローツェ南壁」と並んで、ヒマラヤの三大課題が挙げられていました。
「マカルー西壁」と「ナンガパルバート・ルパール壁」がそれだそうです。
↓マカルー西壁
マカルー西壁
↓ナンガパルバート ルパール壁(南面)
ルパール壁
ふーーん。そうなんだぁー。知らなかった。
いずれ劣らぬ、なかなかのつらがまえです。
ナンガパルバートはヒマラヤ・カラコルムには珍しく、8000mの独立峰なので、カラコルムハイウェイの車窓からも見ることができます。体力がなくても拝めるので、生きてるうちに、もう一度くらいは行ってみたいものです。

また、少人数で短期速攻で行うヒマラヤ登山を俗に「アルペンスタイル」といいますが、その厳密な定義も本書を読んで初めて知りました。
クライマーは6名以内、酸素ボンベは持たず、固定ロープも使用しない。さらに高所ポーターやシェルパの支援を受けない
というのが、国際山岳連盟によるアルペンスタイルの定義だ。   =P323=


笹本稜平の山岳小説は本格的だしぃ~、お勉強にもなるしぃ~。
今後も重大な関心を持ってぇ~見守っていきたいと思いますぅ~。(←定型句)

世代の痛み

世代の痛み
上野千鶴子を読んだのは「スカートの下の劇場」以来ではないかと思います。面白く読んだ記憶はあるのですが、どこがどう面白かったのかはおぼえていません。
かたや雨宮処凛は、ここ数年で何冊か読んでいます。
雨宮処凛の過去記事はこちら→
http://mbay.blog70.fc2.com/blog-entry-1551.html
http://mbay.blog70.fc2.com/blog-entry-1465.html
http://mbay.blog70.fc2.com/blog-entry-1464.html
http://mbay.blog70.fc2.com/blog-entry-1459.html
おおざっぱにくくれば、フェミニスト文化人類学者とプレカリアート論客の「女性問題・貧困問題」に関しての対談です。

しかし、対談とはいえ、一方は功成り名遂げた上野千鶴子ですから、中身は雨宮が上野にインタビューし、上野が雨宮にレクチャーするというカタチになってしまうのではないかと思っていたのですが、杞憂でした。
金正日時代の北朝鮮やサダムフセイン時代のイランに招待されただけあって、雨宮のキャリア?キャラ?胆力?はさすがで、オイラのような卑屈な先入観などとは無縁でした。
ほぼ対等どころか、上野が聞き役に回っている方が多かったように感じました。
雨宮は現在まで、実に紆余曲折した道を歩んできているのですが、上野はそれを興味深く聞き、雨宮はその時その時の自分の感情や考えを素直に吐露していました。
アクの強い両者ですが、読んでいる最中も読んだ後も、妙に爽やかな気分になり、アクの強い両者に好感さえ抱いている自分に気が付きました。

ま、蛇足ですが、副題にある「団塊ジュニア」とは雨宮、「団塊」とは上野のことです。オイラは「ポスト団塊」で、オイラの子どもは「ポスト団塊ジュニア」なので、自分の実感とは数年ズレているのですが、「あー、そうだった。そうだった。」と思う個所も多く、その”同時代感覚”がまた面白かったです。

上野の話の中で、「03か04年あたりから、弱者嫌悪(ウィークネス・フォビア)の風潮が顕れてきた」という指摘があったのは興味深かったです。なるほど、言われてみればそんな気もする。これってつまり「被害者面することへの嫌悪」が発展して「被害者嫌悪」になってきているという指摘です。これがさらに発展すると「弱い者いじめ容認」へと進みかねません。
03年・04年といえば、新自由主義(ネオリベ)の時代です。これ、わりと国民は歓迎ムードでした。
歴史を振り返ると「あそこが分岐点だった」というポイントがあるものですが、そのことに気づくのはたいてい分岐点をはるかに通り過ぎてからのことが多いようです。弱者嫌悪の風潮の源流が、「弱者に我慢を強いることも止む無し」のあの時代だったとするならば、分岐点は”あそこ”だったのかもしれません。
そこで思い出すのが、
どんなに悪い結果に終わったものでも、それを始めた当初は善意から始めている。
                                      =ユリウス・カエサル=

古代ローマの時代から、悩みは同じだったようです。だから仕方がないのか?
うーーん、そこんところはやっぱり、「今の時代の熱狂(≒ポピュリズム)に、我々は浮かれていないかぁ?」という自問・自省は必要でしょう。
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Author:mbay
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